「地毛なのに黒染め指導」 おかしなルールで縛る日本の教育はこのままでいいのか?

対談・鼎談

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』

著者
ブレイディ みかこ [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103526810
発売日
2019/06/21
価格
1,485円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー】100万光年先の日常から、子どもと社会を描く 劔樹人×ブレイディみかこ×瀧波ユカリ

[文] 新潮社

子どもには「遊ぶ権利」がある


瀧波ユカリさんの感想漫画より

瀧波 この本には、常識をガーンと破られるみたいな面白さがありますよね。優秀な学校は白人ばっかりだと思っていたら逆じゃん! みたいな。日本もだんだんそうなっていくんだろうなあ、ってなんとなく悲観的に思っていたんですけど、この本を読むと、なんだかそれも面白いじゃんって思えるから不思議です。

ブレイディ そうそう。なにもなくてまったりしているところより、いろいろあるけどダイナミックなところの方が面白いですよね。

瀧波 私が育ったのは釧路の新興住宅地だったから、親の収入くらいしか違うところがなかったような気がするんですけど、これからは……。

ブレイディ 収入とかの縦の違いも、人種とか文化といった横の違いも、ぐちゃぐちゃになってくる。

瀧波 そうなったときに、自分の子どもにも面白いと感じてほしいです。
 本の中には、ブレイディさんが子どものときの話も出てきますよね。

ブレイディ 自分の子どものころの記憶なんて普段はまったく忘れているのに、子どものやってることを見て、フラッシュバックのように甦ることないですか?

瀧波 あります。本の中に、ブレイディさんの中学時代の先生が、生徒を喧嘩両成敗にしたエピソードが出てくるじゃないですか。「人を傷つけることはどんなことでもよくない」って言って。あれとは違う雑さというか、波風を立てないための雑さを、子どもを見ていて思いだすことがあります。

――小学生や中学生でいえば「水筒問題」っていうのもありますよね。猛暑で熱中症になるのを防ぐために、子どもに水筒を持たせようとしても校則で禁止。期間限定で持参が許されても、登下校中は飲んではいけないとか。

ブレイディ え? イギリスは夏でも冬でも子どもにウォーター・ボトルを持たせることが法律で決まってますよ。子どもの健康とか、人権をどう考えているんだろう?

劔 もともと部活でも水を飲むなというような土壌もありましたし、熱中症の理解が最近ようやく進んできたということはあるにせよ、現場のルールはもっと変わってしかるべきなんですけどね。

瀧波 そういうおかしなルールはほかにもあって、女子生徒の下着の色は決まっているとか、生まれつきの髪の色が違っても黒く染めなければいけないとか。昔より酷くなっている気がします。先生も余裕がなくて一件一件に対応できないから、もうこれを守ってください、というのもあるんでしょうけど。

劔 それはわからんでもないんですよね。保育園とかで先生を見てても、たいへんそうだし。

瀧波 まあ、だから、理不尽があるのはよくないんだけど学びの糧にするしかないんですかね。ブレイディさんの息子さんも理不尽がデフォルトみたいな世界を生きているわけですし。

ブレイディ しかし、子どもが学校と家の板ばさみになると、つらいですよね。イギリスが子どもの人権を考えるようになったのは、ヴィクトリア朝の時代まで遡りますけど、子どもに労働させていたことへの反省があるからなんです。だから今でも小学校の授業でヴィクトリア朝時代の子どもの一日を体験してみるみたいなカリキュラムがあって、メイドとか煙突掃除の少年とか当時の格好をして行うんです。
 で、その格好でいちにち労働させて、体験を語り合って、「じゃあ、どうして君たちは今、こうして働かずに学校に行けるんだろうね」「国連憲章には、子どもには学ぶ権利だとか、守られる権利だとか、危険な目に合わされない権利が記してあって、それが国の法律になって、君たちは守られているんだよ」と教えるらしいんです。

瀧波 すごい。

ブレイディ 哲学者の國分功一郎さんから聞いた話なんですが、彼が子どもをイギリスの小学校に通わせていたとき、学校を見に行ったら、「遊ぶ権利」っていうポスターが貼ってあって衝撃を受けたそうで。

瀧波 まぶしい!

ブレイディ イギリスの子どもはいろいろ教えられるんですよ。声を上げる権利とか、声を聞いてもらう権利とか、搾取されない権利とか。

瀧波 日本の道徳の授業から100万光年くらいの距離を感じます。日本はどうしても自己犠牲とかまわりに迷惑をかけないという話になりがちで。遊ぶ権利とか言ったら、そのための義務を果たせとか言われそう。

劔 ぼくはけっこうそういうのを素直に吸収しちゃうタイプかも(笑)。

新潮社 波
2019年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク