NHK大河ドラマとは一線を画す 史実度外視ながら風通しの良い快作
[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)
はじめに断っておくが、この一巻は来年のNHK大河ドラマの便乗作品ではない。帯の惹句にあるように、「出自もうそ。名前もうそ。武士もうそ」という一介の地下人=地べたを這いずり回る者・十兵衛が延暦寺の荒法師に襲われているところを、伊勢氏の嫡流と称する伊勢兵庫頭貞良に救けられるくだりから物語はスタートする。
十兵衛の願いは唯一つ、「人の上下無き世を作ること」。これに乗ったという貞良は、まず武士になれと、十兵衛に明智十兵衛光秀という名を与える。だが、この貞良、メフィストフェレス的な役割を持ち、お前はこれから大いなる嘘を一生つき通すのだとも、嘘もつき通せば嘘ではなくなるともいって、十兵衛を困惑させる。次に十兵衛は、売られてゆく公家の娘、熙子を奪い、これを妻とし、宮中の礼法を手に入れ、織田家に取り入ることに成功する。そして、織田家である程度の地位を手に入れ、嘘が嘘でなくなった十兵衛は、大義のために悪人となり、禁中とわたりをつけることも厭わない。
しかし、貞良、「十兵衛よ、もしかしたら、おぬしの夢の最大の壁となるのは、弾正忠(信長)やもしれぬな」「やつを出し抜くことなど果たしてできるのか?」というではないか。
一方で十兵衛は見る―朝倉攻めに失敗した織田軍の殿をつとめることになった木下藤吉郎秀吉が雑兵たちと一体となって語らっているところを。十兵衛は「(将も兵もない……上下無き……!?)」と思う。自分の願っているものが、ここでは実現されているではないか。そして十兵衛が訪ねた百姓の沙汰人は、支配されている方が楽だというのである。
こう記してきても分かるように、本書は、本能寺の史実に迫ろうとする作品ではない。それを度外視して、“嘘”を通しての人間の本質や、それが、格差社会の政の中でどう転がっていくかをテーマとした一巻だ。とても風通しの良い快作である。