すこぶる付きの名文家でもあった 名優「森繁久彌」の自伝集
[レビュアー] 碓井広義(メディア文化評論家)
俳優の森繁久彌が亡くなったのは2009年11月。96歳だった。
ある世代以上の人には、それぞれの「モリシゲ体験」があるのではないか。1950~60年代の東宝映画『社長』シリーズ。1967年から20年近くも続いた舞台『屋根の上のヴァイオリン弾き』。向田邦子も脚本を書いたドラマ『だいこんの花』を挙げる人もいるだろう。いや、著名人の葬儀で、「本来なら私が先に逝くべきなのに」と弔辞を読む姿を思い浮かべる人もいるはずだ。
ただ、森繁が名優であることは知っていても、すこぶる付きの名文家だったことを知らない人は多い。その意味で、今回の全5巻におよぶ「コレクション」の刊行は僥倖かもしれない。何しろ第1弾は森繁の文名を高めた『森繁自伝』や『私の履歴書―さすらいの唄』を収めた「自伝」集だ。この2作を読めば、森繁久彌という「特異なキャラクター」がどうやって出来上がったのかが、よくわかる。しかもそのプロセスは、「小説より奇なり」という常套句そのままに波瀾万丈なのだ。
大正2年の生まれ。関西実業界の大立者だった父親を2歳で亡くす。旧制・北野中学に入学するが、一気に不良化。早稲田第一高等学院に転じて早大へと進む。学業半ばで飛び込んだのが東宝新劇団だ。やがてNHKのアナウンサーとなり、満州の新京中央放送局へ。それが昭和14年、26歳の時だった。敗戦時の混乱と悲惨を満州で体験する。
本書で注目したいのは、随所に見られる独特の人生哲学だ。「昨日の朝顔は、今日は咲かない」と過ぎたことには拘らない。俳優の仕事もまた「瞬間を生きるもので、それらは網膜に残影を残して終りである」と覚悟して臨んでいる。今を生きることに全力を注ぐ姿勢は、人気俳優となってからも一貫していた。
自伝の面白さは書かれていることだけではない。行間に漂う歴史の闇を想像するのも本書の醍醐味だ。