【文庫双六】冴え渡る筆致の“脱力系”小説――北上次郎

レビュー

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喜劇 愛妻物語

『喜劇 愛妻物語』

著者
足立紳 [著]
出版社
幻冬舎
ISBN
9784344428782
発売日
2019/08/06
価格
594円(税込)

冴え渡る筆致の“脱力系”小説

[レビュアー] 北上次郎(文芸評論家)

【前回の文庫双六】楽天性とバイタリティに富む痛快な「お嬢さん」――梯久美子
https://www.bookbang.jp/review/article/599392

 ***

 犬養道子の異母妹が安藤和津。その次女が安藤サクラ。第三十九回の日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を安藤サクラが受賞したのが映画『百円の恋』で、その脚本を書いたのが足立紳。というわけでようやく足立紳につながったので、この脚本家にして小説家・足立紳の傑作小説をご紹介したい。

 映画監督や脚本家、あるいはCMディレクターなど、映像関係者には小説の名手が少なくないが、足立紳もその一人である。しかも足立紳にはきわめて顕著な特徴がある。

 それはたとえば『14の夜』という作品に明らかである。ここで描かれるのは中学三年の日々だ。町に一軒だけあるレンタルビデオ屋の一周年記念にAV女優がやってきてサイン会をするとの噂が飛び交うのである。しかも夜の十二時を過ぎるとオッパイを吸わせてくれるらしいという噂もあるので主人公たちは落ちつかない。これは、中三男子のそういう妄想を核にした小説で、この手の脱力系の小説を書かせたら足立紳の筆致は冴え渡り、他の追随を許さない。ひらたく言えば、情けない男を描くのが天才的にうまいのである。

 ここで紹介するのは、そんな足立紳の小説デビュー作『乳房に蚊』。文庫化に際して『喜劇 愛妻物語』と改題した作品だが、売れないシナリオライター柳田豪太が、嫁を説得して五歳の娘と家族三人で、香川まで取材旅行に出かけていく話だ。柳田のここ数年の年収は五十万以下。にもかかわらず大金をかけて取材旅行に出かけるのは、新しい仕事に結び付けて事態を打開したいからにほかならない。つまりこれは、ダメ男小説であり、家族小説であり、ロードノベルである。

 足立紳はつい最近、『それでも俺は、妻としたい』という作品を上梓したばかりで、これは足立紳のこれまでの集大成だが、『喜劇 愛妻物語』はその原型といっていい。ダメ男小説の名手、足立紳の世界をたっぷりと堪能されたい。

新潮社 週刊新潮
2019年12月26日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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