『女童(めのわらわ)』刊行記念 赤松利市インタビュー

インタビュー

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女童

『女童』

著者
赤松, 利市, 1956-
出版社
光文社
ISBN
9784334913236
価格
1,595円(税込)

書籍情報:openBD

『女童(めのわらわ)』刊行記念 赤松利市インタビュー

[文] 光文社

「62歳、住所不定、無職」の大型新人としても話題を呼び、衝撃作を放ち続ける著者。壊れていく娘を抱え、破滅に向かう男を描いた『ボダ子』。その問題作で触れられなかった父娘の逃避行に迫ったのが本作。作品に込めた思いと、作家としての「これから」を語ってもらった。

 ***

――『女童』の主人公は『ボダ子』(新潮社)の主人公・大西浩平(おおにしこうへい)の娘・恵子(けいこ)です。『ボダ子』に連なる物語を書こうと思った理由は何なのでしょうか。

赤松 寮(りょう)さん(作家・寮美千子(みちこ)氏)に言われたんだよね。「あんたもねえ、小説家だったらね、小説家としての覚悟持ちなさいよ。二年間一緒に二人だけで暮らしたんでしょ。幸せだったんじゃないの? でも、幸せの中にも色々あったと思うのよ」って。

――神戸の二年間は幸福だったから、『ボダ子』ではあえて書かなかった?

赤松 それもあるからさっと流しているし、娘も私によく懐いてたし。寮さんが娘のことをよく知っていたんです。神戸から(寮さんがお住まいの)奈良に娘と何度も行っていましたし。二年間娘と一緒にいたんですから、なぜ書かなかったかと言われれば、あれは大事にしたい思い出やもん。そうしたら寮さんが「だったら余計に書きなさい」と。

――ご自身の過去をさらに曝(さら)け出されたのですね。執筆される中でいっそう痛みを覚える瞬間もあったのでは……。

赤松 痛いですよ、心療内科通いながら書きました。完全に病んでしまいましたよ。ましてボダ子の一人称で書いて言うたのは光文社さんですからね、うわぁ思たわ、無茶言うな、と。それを新潮社の編集者に愚痴ったら「うわ、読みたい、それ」て。うわ、この編集者らは鬼やな思いましたわ(苦笑)。『ボダ子』書かさせた編集者も鬼やけど、その上にまだ読みたい、て。

――すみません……! でも、だからこそ『ボダ子』で壊れていく恵子が、父親との二人暮らしの中、漫画を購入したり、魚釣りに出かけたりする場面で見せる健気(けなげ)な子どもらしさが印象的でした。それもまた神戸での出来事なのでしょうか?

赤松 それも思い出ですね。今となれば辛(つら)かった思い出です。

――一方で物語冒頭から登場し、恵子に不審な治療を行うレディースハートクリニックの奥野医師。彼の人物造形はどのようなところから着想を得たのでしょうか?

赤松 モデルはまったくない。実在しない。『ボダ子』でいうと泰子(主人公・大西浩平の下で働く薄幸の事務員)。それ言ったら身も蓋もないですよ(笑)。でも、その泰子は『ボダ子』の中で大分大きなウエート占めてるよ。ファンが周りにもけっこういるんです(笑)。

――泰子ファン、そんなに多いのですね(笑)。奥野は冒頭から犯罪の匂いをちらつかせています。犯罪という要素は赤松さんの作品にとって欠かせないものかと思います。ご自身は犯罪をどのように考えてらっしゃるのでしょうか?

赤松 犯罪に限らずですけど、悪い人間と、我々みたいに悪くないとこにいる人間、ていうのね、私はずっと感じてるのよ、どっかで立場逆転したっておかしくないと。いつでもありうると。これはね、私、消費者金融に勤めてたんですよ。で、取り立てやってたでしょ。悲惨な状況の人んとこに行かなきゃいかんのですよ。そんときね、いつも思ってましたもん。自分が大卒でまだ一年も経ってない若造が、こんなお爺(じい)ちゃんとか、お婆ちゃんとかに、偉そうに言うてるけど、いつ立場逆転してもおかしくないよ、と。そういう気持ちはありましたよね。犯罪にしてもおんなしやと思う。いつ逆転してもおかしくないよという気持ちでそういうものを見てますから。


――二つの立場を隔てているのは薄皮のようなものしかないということですかね。

赤松 現実には私自身がそうやもん。会社潰(つぶ)して、土木作業員や除染作業員やって、職失(な)くして、東京でホームレスやって、風俗の呼び込みやって、それで還暦迎えて。自分の人生は、こんなところに行くとはまったく予想していなかった。もっと順調な人生やと思ってた。

――その折にデビューするきっかけとなった小説(「藻屑蟹」)を書かれたのですね。もし小説がなかったらと想像することはありますか。

赤松 いや、もうそのままホームレスになってるでしょ。まだ、当時はホームレスさながらに、住むとこはなかったけど、でも、風俗の呼び込みとかしながら。それから、また仕事失くして。このまま自分の人生終わるんやなあと。そんときに終わりたくないと思ったわけやない。なんやなあ、なんかなあというぐらい。それで、小説書きたい、じゃなくて、小説でも書いてみよっかって。

――恬淡(てんたん)な姿勢に凄(すご)みを感じます。先ほどの奥野の話に戻りますが、彼の存在に込めたものはあるのでしょうか。

赤松 たしかにね、(娘との暮らしの中で)私は逃げてた。形だけはね、向き合おうとしていた。言い訳にはしたくなかった。もし、ああいう心療内科医がいたら、ほんまに取り込まれてたと思う。

――ただ、物語を読み進めていくと、奥野には単純に悪人と切り捨てられない部分もあるように感じます。そこは意識されたのでしょうか?

赤松 若干ね、自分が娘にできなかったもの、足りなかったものを託しましたよ。もちろん父親としてあんなことはできないけどね。

――これから書いてみたいと思う題材やテーマはありますか? たとえば赤松さんの学生時代のこととか……。

赤松 それは書くかもわかんない。ていうのは「小説宝石」で「遺言」て書きましたよね(「小説宝石 二〇一九年十月号」掲載短編)。あれのテーマもそうだけど、昭和ね、よかった思いますよ。一億総中流いう意識で生きてましたもん。お金のあるなしで人を差別しなかった。そういうもんが基準になってなかった。それが崩れたのはやっぱバブルやろうね。それと戦争への露骨な嫌悪感があったよね。父親や周りの人たちなんか、たとえば、宇宙戦艦ヤマトって聞いただけでも嫌がってましたもん。

――たしかに今とはまったく違う時代ですね。昭和が題材の作品、ぜひとも読ませていただきたいです。

赤松 それとね、『女童』を最後にして、性と暴力の話やみんなが落ち込むような話はやめたい。貧困とは向き合いたいと思いますね。『ボダ子』『女童』ほどではなく、心の病とも向き合いたいと思う。そういう人いっぱいいますもんね、いま。そのアンチテーゼとして昭和を書きたいね。

――これからの作品にも期待しています。今日は『女童』のお話を通じて、赤松さんご自身のことや今後のご執筆などについてお話を伺わせていただき、ありがとうございました。

光文社 小説宝石
2020年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

光文社

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