『はじめての経営組織論』
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組織論研究者、自著を語り合う――『はじめての経営組織論』(有斐閣ストゥディア)刊行によせて
[文] 有斐閣
『はじめての経営組織論』(有斐閣ストゥディア)刊行によせて、著者の高尾義明・首都大学東京大学院経営学研究科教授と、宇田川元一・埼玉大学経済経営系大学院准教授に本書の魅力をお話しいただきました。
「今」から始める教科書に
高尾 2019年9月に、有斐閣ストゥディアの一冊として『はじめての経営組織論』を刊行しました。本日は、同じ組織論研究者として普段から親しくさせていただいている埼玉大学の宇田川元一先生を聞き手にお招きし、この教科書の内容や、組織論関係の書籍の出版状況などをめぐって意見交換したいと思います。宇田川先生にはお忙しいところ、ありがとうございます。
宇田川 今回この本を拝読して、新しい研究をかなり盛り込まれているところが、まず1つ大きな特徴だと思いました。
高尾 このテキストを執筆するときに最初に思ったことの一つが、「今」から始めよう、ということだったんです。結果、伝統的な経営組織論の教科書で取り上げられることの多い学説史的な部分はかなり割愛することになりました。組織理論の歴史的展開を知ることは、個々の理論をより深く理解するためにとても重要ではあるのですが、本書くらいの紙幅では、学説の流れから始めると、今の研究・今の問題にまで辿り着けないなと思いました。
ですので、たとえば、コンティンジェンシー理論を詳しく説明するのは、もういいだろうと。コンティンジェンシー理論は学説史的には非常に大きなインパクトを組織研究にもたらしましたが、環境との適合性によって組織構造が成果にもたらす影響が変化するというそのエッセンスは、今の研究では自明とされていますし、ビジネスの常識としても受け入れられているように思ったからです。
また、入門書なので、クローズド・システムとオープン・システムを対比する必要も小さいだろうと考え、基本的には組織が環境に開かれていることを前提に議論を進めています。
宇田川 なるほど。われわれ教員は、たとえばW・リチャード・スコットのOrganizations: Rational, Natural, and Open Systemsといった大学院生向けのテキストで組織論を体系的に学び、自分の研究がどう新しいのかを理解した上で教員になるわけですが、その結果、自分が学んできたものをそのまま学生に教えようとして、縮小再生産に陥ってしまっているのかもしれません。本当は、われわれ教員が学生に対してまずしなくてはならないのは、組織論を学ぶことに対してモティベートすることですよね。
高尾 そう思います。
宇田川 これって、経営学に携わっている人間だったら、すごく頑張らなきゃいけないところだと僕は思うんですよ。その点が抜けちゃって、いきなりウェーバーやテイラーの話から始めるのはどうなんだろうか。もちろん、学生にとって面白くできるとは思うんですよ。でもアストン研究を今の学生に詳しく教えることの意味って何なんだろうかというのは、正直思うんですよね。だとすると、コンティンジェンシー理論や、そこに至る系譜について順を追って教えるよりも、反対に「今」の視点から説明を組み立てるというのは、学ぶということの実践を考えた上ではすごく意味があると思います。
宇田川 ところで、この本の特徴的な点であり僕にとって面白かったのは、やっぱり第3部で、最終的にダイアローグとかも出てきて(笑)、「おっ」という感じでした。
高尾 第3部では、環境の把握、戦略との関係、学習、イノベーションといった、「今」から始めるならば取り上げなければならない内容を、ある程度網羅しようと試みました。どのようにまとめるかという点で苦労はしましたが。
たとえば、イノベーション研究が今とても盛んですけど、組織マネジメントの観点からイノベーションにアプローチするために大事な議論や視点は、簡潔ながら第11章に盛り込めたかなと思っています。その上で、続く最終章(第12章)をどのように締めるのかはすごく悩みました。
宇田川 第12章は「変化を続ける組織」とされていますね。
高尾 ここが一番悩みましたし、第2節以降は組織論研究者から見ればツッコミどころがいろいろあると思います(笑)。ただ、テキストとして最後が各論で終わるのは尻すぼまりのような感じで面白くないと思い、第1部で取り上げた組織成立の三要素に戻って、「今」の組織の課題を考えるという構成にしました。宇田川さんはクラシック音楽がお好きなのでおわかりいただけると思いますが、ゴールドベルク変奏曲のように、曲の冒頭に出た主題がさまざまに展開して、最後の最後に出てくるというのは、なんかグッとくるじゃないですか。そういう感じを目指したところはあります。
宇田川 そういう狙いだったんですね。たしかにそうすると、自分がこの本を通して学んできたことに、どういう意味があったのかが、読者の中にクリアに残りますよね。
組織論研究者の役割
宇田川 ところで、いま問題だなと思っていることを、僕の体験を交えてお話ししますね。先日、あるユニークな会社の人事の方と、とあるセッションで一緒になりました。その方が、「組織論、めっちゃ興味あるんですよ。やっぱり経営学の研究って、自分たちがやっていることに役に立ちますよね。たとえばティール組織とか」って仰ったんです。
高尾 ああ。
宇田川 それで有り体に申し上げたんです。ティール組織というのは、組織論研究者の間では研究として捉えられてはいないのですと。なぜそういう誤解が起きるのかというと、やっぱり組織論というものをみんな知らないからだと思うんですよ。ティール組織に限らずコンセプトの粗製乱造みたいなことになってしまっている中で、それらの真贋をちゃんと見分ける目を持つためには、確固たるアカデミックな視点を持つことが不可欠だと思います。そうしないと、コンサル依存まっしぐらじゃないですか。
高尾 そうですね。
宇田川 高尾さんのほうが僕より世代は上ですけど、僕が大学生だった90年代後半頃って、書店のビジネス書のコーナーにもうちょっとハードな本が並んでいた気がします。それが今は、「早い」本ばっかりになってしまって。結局みんなハウツー依存症にさせられてるんだと思うんですよね。
高尾 ああ。「させられている」。
宇田川 みんな、どうやって学んだらいいのかわからないんじゃないかと。これにはアカデミシャンの側にも責任があると僕は思っています。たとえば、野中郁次郎先生の『企業進化論』(日本経済新聞社・2002年)とか、伊丹敬之先生の『経営戦略の論理』(初版:日本経済新聞社・1980年)とか、あるいは加護野忠男先生の『企業のパラダイム変革』(講談社・一九八八年)とか、榊原清則先生の『企業ドメインの戦略論――構想の大きな会社とは』(中央公論新社・1992年)とか、今だとこれらはハードな本になっちゃうと思いますけど、ああいうアカデミシャンから実務家への語りかけみたいなことを、今の学者はできているんだろうかというのは、すごく問題意識として僕は持っています。
僕はそういうつもりで、今回、本(『他者と働く――「わかりあえなさ」から始める組織論』〔NewsPicksパブリッシング・2019年〕)を書いたんです。僕の本は学ぶというよりも、どちらかというと感じ取ってもらって実践してもらうところにフォーカスしています。でも一方で、これで組織論に興味を持った人がもう一歩入ってみようというときに、本書のような教科書が用意されているというのはすごく大事だなと思うんですよね。
こういう状況も踏まえて、経営学者の、とくに組織論研究者の果たす役割って何だと思います?
高尾 とても難しい問いですが(笑)、宇田川さんの本に脱線させてもらうと、私が拝読して一番いいなと思ったのは「人が育つというのは、その人の携わる仕事において主人公になること」というフレーズだったんですね。今の私の研究も、またこのテキストを執筆したことも、組織の活動において一人一人がそれぞれの意味合いでもって自ら主人公になる、その助けになるようなものを生み出したいという思いがあってのことだったんだなと思いました。
宇田川 たしかにそれは大事ですよね。われわれがなぜ経営学を教えているのかって、結局、そこに尽きるのかなという気がしていて。組織ってこういうものだよねというところから、組織を紐解いていく作業というか、種明かしというとなんかちょっと違うんですけど、そういうような作業をしているんだと思うんです。それを学ぶことで、どういうふうに組織と渡り合っていこうかということを、自分なりに構成していけるようになる。そういうことが、ある意味で、自分の仕事人生で主人公になっていくということだと思います。
組織は客観的な存在であり、同時に、われわれがつくっているものですが、本書でもそのことが、とくに第3部から最後にかけて結構見えてきますね。フェルドマンとペントランドの組織ルーティンも取り上げられたんだ!と思って。
高尾 そうなんですよ(笑)。
宇田川 たぶん野中先生が強調されたかったのも、この議論に近いことだったんじゃないかなと思うことがあります。野中先生の一番いい本は『企業進化論』じゃないかと思っているんですよ。
高尾 あの本は確かにいいですよね。
宇田川 『企業進化論』で野中先生が仰りたかったのって、たとえばリクルートの江副浩正さんが常に組織の中にカオスをつくらなければならないと言っていた、という指摘などからもわかるように、放っておくと形骸化しやすい組織というものをどう動かしていくかということの大事さなんじゃないのかなと。そうすることによって、何か新しいもの、あの本で言えば情報、後の野中先生の言葉で言うと知識が生み出される。で、そうやってダイナミズムを生み出していくことって楽しいじゃない? というのが、先生の一番言いたかったことじゃないかと思っています。
高尾 そういうダイナミズムみたいなものをうまく捉えることって、われわれ研究者の課題でもあるんですけど、今それにわりと接近できているものの一つがルーティンの議論かなと思って、難易度は少し高いですけど組み入れてみました。多くの組織において変化はとりわけ重要な課題になっていますが、変化がある状態とない状態、といった二分法で捉えられていることが多く見られます。本当はそうじゃないんだというところから議論を始めるべきだと考えていることも、理由の1つでした。
クラシックの強みを活用する
高尾 テキストの構成のことで1つ、感想を伺いたいところがあります。このテキストは3部構成で、第3部は先ほど話題に出た、現代の組織研究との接点です。その前の第2部は、構造とプロセスを取り上げたオーソドックスな内容だと思っています。残る第1部ですが、ここの構成はバーナードの組織の定義と成立条件に基づいています。これって、英語圏のテキストではありえないと思うんです。組織目的、貢献意欲、コミュニケーションという組織の成立の三要素は、まず出てこないじゃないですか。
宇田川 はい。バーナードって、欧米ではそもそもあんまり議論に出てこないですよね。
高尾 それをもちろん知りつつ、あえて組織成立の三要素を組織の基本的な切り口として出しました。私は、組織を、目的とコミュニケーションと貢献意欲から考え始めればよいというのは、すごく重要なメッセージだと思っています。実際、学部の経営組織論の期末試験の後、学生たちに「試験のために丸暗記したことは忘れてもいいけど、組織の成立条件の三要素だけは、卒業した後でも覚えておいてほしい」みたいなことを言っているんです。このテキストの第1部ってどう思われますか。
宇田川 バーナードは本当にすごい人だなと思うんですよね。しかも怖いのは彼が経営者だったということで、なんなんだこの人はという感じですよね(笑)。グレゴリー・ベイトソンの本を読んでいたら、バーナードの名前が1箇所だけ出てきて、エッて思ったんですけど。それはともかく、いま起きている、組織をめぐるいろいろな現象は、組織の三要素にかなり集約できると思います。たとえば、最近ビジネスパーソンの間で流行りの「弱いつながり」は、コミュニケーションの話かなとか。あと、貢献意欲についても、最近だとワークエンゲージメントなんかは、これに関連する話なのかなとか。
高尾 そうですね。
宇田川 もっとも、オープン・システムとしての組織の側面は、組織目的を扱われた第2章で、組織均衡の解説の中に少し織り交ぜていく程度にとどめざるをえないという意味では、苦しいところはあったんじゃないかなとは想像します。それでも、目的にしっかり焦点を当てておくことで、この教科書のさらに先が見通しやすくなっているように思います。僕はバーナードの議論の次に出てきたセルズニックがすごく好きなんですけど、セルズニックは目的のところをうまく拡張したよねとか。
さら言えば、サイモン以降は一定期間、目的の議論がなくなるわけですよね。僕はその揺り戻しとして企業文化論が出てきたと理解しています。専門研究者が研究をまとめていく中で、そういった見落としってたくさんあると思うんです。クラシックな枠組みを用いることは、そういったつながりをちゃんと考えなきゃダメだろうという問題提起にもなっているように思います。そういう意味で僕は好きです。
高尾 バーナードの議論を大事にしてきた、日本の組織研究者のよき伝統を、これからのために活かせるとよいですね。
宇田川 最後に、入門的な教科書を書くというのは結構クリエイティブな作業なんだなと改めて感じましたね。本当にクリエイティブにやっている人は少ないかもしれませんが。そこはすごいと思いました。
高尾 たしかに、個別の理論に関する解説の執筆をただ積み重ねる以上のエネルギーを使いました。
宇田川 きっとそうですよね。こういう本を書いていただいて、ありがとうございます。また、お勧めの文献リストがあるのは、すごくいいなと思いました。そこで、日本のいろんな研究をちゃんと紹介していただいているのも、とてもいいことだなと思います。そういう意味で、文献リストのチョイスにも意志が感じられるというか、高尾さんらしいなと思って読みました。
高尾 そんな細部に至るまで丁寧に読んでいただき、ありがとうございました。
(2019年10月8日収録)