第41回(2019年)サントリー学芸賞受賞の注目作『維新支持の分析』

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維新支持の分析

『維新支持の分析』

著者
善教 将大 [著]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/政治-含む国防軍事
ISBN
9784641149274
発売日
2018/12/20
価格
4,290円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

第41回(2019年)サントリー学芸賞受賞の注目作『維新支持の分析』

[レビュアー] 善教将大(関西学院大学法学部准教授)

1 はじめに

 拙著『維新支持の分析――ポピュリズムか、有権者の合理性か』(有斐閣、2018年)は、大阪維新の会をめぐる有権者の政治意識や行動の実態解明を試みた、政治行動論の学術研究書である。大阪における多数の支持者の獲得という維新の「成功」と、その一方にある特別区設置住民投票の結果が反対多数となった維新の「失敗」を整合的に理解するにはどうすればよいか。これまで維新の「成功」は、橋下徹氏の動員戦略などポピュリズム論の観点から説明されることが多かった。しかしこの理論ないしアプローチには、維新の「失敗」を説明できないという難点があった。この通説的見解に対して拙著は、有権者の(限定)合理的な意思決定の帰結として維新の「成功」と「失敗」の両者は整合的に理解可能であることを論じ、さらにこの主張の妥当性を、意識調査やサーベイ実験の結果などを通じて実証的に明らかにした。

 大変ありがたいことに、拙著は学術研究書であるにも拘らず、著者の当初の想定以上に、多くの方々に手に取って頂けた。書評などを通じて拙著を紹介・論評して下さった方も多い。刊行から1年以上が経過した今、拙著について何を語ればよいか。正直に言うと分からないというのが著者の本音である。ただ、そうは言っても解説しきれていなかった点や、胸の内に秘めていた思いについて語る機会を得ることは、これまでほとんどなかった。以下では、語ってこなかった拙著の「裏事情」について語りつつ、拙著の内容や特徴について解説していこうと思う。

2 執筆動機

 政治行動論の本は売れないとよく言われる。おそらくそれは事実なのだろうと思うことは多い。「一般書ならともかく行動論の専門書は……」「出版助成が通らない状況で企画を通すことは……」。政治行動論を専門とする筆者からすれば悲しい話だが、昨今の出版事情を勘案すれば、このような声が出版社から発せられるのは当然だという思いもある。むしろ、なぜ有斐閣の岡山義信氏は「絶対に出版企画を通します」と断言できたのか、その方が疑問である。英語で論文を執筆せよという圧力が高まりつつある中、売れないとされる日本語の政治行動論の本を執筆する意味はどこにあるのか。拙著を執筆する中、この疑問は常に筆者の脳裏を過ぎっていた。

 本を書く理由は人により異なる。研究対象への愛着が動機となる場合もあれば、自説の意義を多くの人に伝えたいという情熱が動機になることもあろう。筆者の場合、「あとがき」にも記したように、印象論的な維新批判を行う識者などへの不満が執筆動機の一つとしてあった。しかしそれだけではなく、維新支持の実証研究には少なからぬ意義があると、妻や息子に示したいという思いもあった。私情に過ぎないが、これも重要な執筆動機の一つだった。

 拙著の背景にはこのような筆者個人の「わがまま」があったのだが、無論、それは拙著が自己満足のための単なる道具であったことを意味しない。むしろ様々な点で、学術研究として、あるいは一冊の本として、その価値を高めるために様々な工夫を施した。特に問題設定と結果の可視化については、他の学術研究書との差別化を図るという意味でも、また、多くの人に政治行動研究の面白さを伝えるという意味でも筆者なりに悩み、考えたように記憶している。

3 問題設定

 維新支持に関する学術研究書の出版計画は2014年9月に始まった。当初は筆者の単著ではなく関西大学の坂本治也先生と共著で、維新の台頭と躍進について意識調査の分析結果などを踏まえつつ、その原因を明らかにするという内容の学術研究書の出版を計画していた。しかしこの出版計画は、結果としては出版社に受け入れてもらえずお蔵入りとなった。その後、2016年6月にもう一度、維新支持に関する研究書の出版計画が立ち上がった。しかし、それも最終的には白紙撤回された。政治行動論の学術研究書は売れないという判断があったのだろうと思う。

 しかし、そうであればなおのこと「売れる」本にしたいと考えた。本を売るための工夫としては新聞などに書評を掲載してもらう、本屋でイベントを開いてもらうなどが考えられる。しかし学術研究書の場合、価格設定の時点で明らかだが、出版社は広く一般の読者が手に取ることを想定し本を公刊するわけではない。拙著も学術研究書である以上、政治学あるいは政治行動論を専門としない人が読むと理解することが難しい箇所は多い。それでも一人でも多くの人に拙著を手に取ってもらうには、多くの人の関心を引くような問題(Research Question)を設定する必要があった。

 なぜ維新は支持されるのかという問いに関しては、既に多くの識者などが検討しその解答を提示していた。そのため、これだけを拙著で明らかにする問いに設定すべきではないと考えた。そこで筆者は、維新が多数の支持を獲得しえたという維新の「成功」と、ここにもう一つ住民投票での反対多数という「失敗」を加え、この矛盾をどのようにすれば説明することができるのかという問題を設定したら面白い本になるのではないかと考えた。もちろん、単一の問いよりも複数の問いに整合的な解答を示す方が困難であり、これは執筆のハードルを上げる諸刃の剣でもあった。しかし、誰から見ても明白な謎(puzzle)を設定し、その解明を目指して初めて多くの人に興味を持ってもらえるのではないか。そのように考え、拙著では維新の「成功」と「失敗」の両者を解き明かすべき問いに設定した。

 どのような問いを設定するかが本の価値を決定的に左右する。面白みに欠ける問いだと多くの人は興味を持たないし、仮に読んだとしてもつまらないという感想を抱くだけであろう。拙著の問いは、取り組むべき価値があると著者自身が思える、そのような問いであった。先に述べたように執筆の際のハードルこそ上げてしまったものの、その一方でやりがいも生まれたように思う。原稿の執筆がただの苦行ではなく、時には自分の文章で興奮したり笑えたりするような作業となっていたのは、面白いと感じることのできる問題を設定したからだろう。著者が面白いと感じない本に読者は魅力を感じない。読者だけではなく著者が面白いと感じる本を書くという意味でも、問題設定は重要である。

4 可視化

 可視化(visualization)とは、一般的には解釈したり把握したりすることの難しい事象などを表や図を用いてわかりやすく示す作業を指す。しかし研究者の間では可視化は、計量分析の結果などを表ではなく図で示す方法(論)という意味で使用されることが多いという印象を筆者はもっている。ここでも、分析結果を図でわかりやすく示すというやや狭い意味で可視化を用いている。

 拙著では、データや質問文、実験設計の概略を説明する場合を除き、すべての分析結果を表ではなく図で示すように心掛けた。図の解釈方法がわからなければ意味がない、図にすることでかえってわかりづらくなるという批判もあろうが、可視化の試みは決して否定されるべきではない。学術書に馴染みのない一般の読者に回帰係数や標準誤差の値が羅列された表を見せても十分に内容を理解してもらえない。認知負荷の高さゆえにそもそも表を見ようとしない人も多い。これに対して図の場合、表と比較すると圧倒的に認知負荷が低く、結果の解釈も(慣れれば)容易なため、議論の内容や結果の妥当性を理解しやすいという利点がある。図だと分析結果が伝わりやすく、それゆえに表で示すよりも議論の説得力が増すこともある。

 計量分析手法を用いている政治学の研究書は多く出版されているが、分析結果の伝え方、すなわち可視化にまで配慮している本は少ない。どれほど精緻で先端的な手法を用いていたとしても、結果の意味するところが伝わらなければその議論に説得力は生まれない。学術論文として研究成果を報告するのであれば表でもよいかもしれない。しかし、計量分析に馴染みがない人も手に取り目を通すことを想定しなければならない本の場合、著者自身が読者に寄り添う必要がある。著者が伝えようとしない限り読者に声は届かない。可視化はそのための一つの方法でもある。

5 おわりに

 筆者が維新支持の研究を始めたのは2011年10月であった。当時、筆者は常勤職に就くことができず、週3コマの非常勤講師と週2日のアルバイトから得られる給料で生活しなければならない身分であった。派遣社員として働く妻の給料を合わせても生活は苦しく、知り合いなどから古くなった野菜を無料で分けてもらうなど、生活費を節約するための努力をしてようやく生活が成り立つような暮らしぶりであった。学会や研究会に出席するには当然交通費などが必要で、当時はそのための費用を生活費から捻出していた。そのため、学会に参加しようとするたびに妻と口論になった。おもちゃを購入する余裕がなく、段ボールで筆者が作ったライダーベルトを装着し遊ぶ息子を見て惨めな思いを抱くこともあった。そのような状況でもなお意義があると信じ、始めたのが維新支持の研究であった。

 拙著の問題設定や可視化を含むアプローチ、さらには知見や主張に対しては、好意的に評価してくださる方もいるだろうし、逆に批判する方もいるだろう。拙著に政治学の学術研究としての意義がどれほどあるのか、さらには現代政治を理解するための一助としてどの程度意義があるのかという不安は、未だ筆者の胸の内に残っている。ただ、家族に多大な迷惑をかけながら始めた研究なので、妻や息子にその意義を認めてもらえるような、そのような本を書きたかった。アーバインの自宅に拙著の見本が送付され、それを手にした時に妻は「よく頑張ったね。お疲れさま」と言った。この一言を聞くために私は本を書いたのだと思う。

有斐閣 書斎の窓
2020年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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