現役岩手県職員が語る『自治体災害対策の基礎』の「筆後」感想など

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自治体災害対策の基礎

『自治体災害対策の基礎』

著者
千葉 実 [著]/北村 喜宣 [編集]/山口 道昭 [編集]/出石 稔 [編集]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/法律
ISBN
9784641227750
発売日
2019/10/11
価格
2,750円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

現役岩手県職員が語る『自治体災害対策の基礎』の「筆後」感想など

[レビュアー] 千葉実(前岩手県立大学特任准教授)

 災害が発生すれば、地域そして自治体には極度の緊張が張り詰める。大規模あるいは甚大であればあるほど。そんな時、あなたが、その自治体職員であったなら、どう行動すれば良いだろうか。どのように災害対策に携わるべきなのだろうか。

 災害とは、一般的には地震などの異常な自然現象等「そのもの」を指す。しかし、災害対策の実務そして法制上は、それらにより生じた「被害」をいう(災害対策基本法2条1号)。また、災害対策は、災害発生直後の初動を含む「応急対策」、復興を含む「災害復旧」、災害の発生や拡大を未然に防ぐ「災害予防」というフェーズで構成される。

 災害、特に大規模等のものは、日常的に起こるわけではない。このため、災害対策の実務は、それを通じてのOJTで学び難い。臨場感もなかなか持てない。さらに、災害対策は講じるタイミングが重要であるが、分野も内容も広範であり、普段はまず用いない法令が多く関係してくる。いざ災害が起こる(発災する)と、何をどうしていいかわからず、オロオロし、周囲がテキパキと動いているのに、自分だけ役に立てずに取り残されている。何と自分は無力なことか……。

 そんな不安に特に苛まれかねない新採用や異動後間もない自治体職員を、拙著は、主たるターゲットとしている。彼ら彼女らが、実務と根拠となる法制を大づかみできるように、主に東日本大震災津波の岩手県の災害対策を概観し、読者にバーチャルで体感してもらいながら、各フェーズに跨る事項を総論として、個々のフェーズや災害対策を各論として説明した。加えて災害対策を効果的に実現するために法制を立法・運用等する「政策法務」の視点で分析した。拙著の趣旨やねらいは、「はしがき」や序章で詳しく述べているので、参照されたい。

1 拙著の特徴

 災害対策の実務や法制をまとめて説明する書籍は、これまであまり存在していなかった。1995年に発生した阪神・淡路大震災の後に一定程度は世に出たが、2011年に発生した東日本大震災津波等を経、最近になって急増してきたように思われる。それらと比べた拙著の特徴は3つある。

 1つには、自治体職員の中でも経験の浅い者が、災害対策全体と根拠法令やその体系を大づかみでき、実務の「取っ掛かり」とできるようにしたこと。

 2つには、岩手県職員として東日本大震災津波の惨状を直に見、その災害対策の一部に携わった筆者の悔しさが詰まっていること。災害対策の現場で、いったい何度「こんな法制度であったなら」あるいは「こう解釈ができていれば」と思ったことか……!

 3つには、多大の支援をいただいた岩手県の職員そして県民として、実務等を通じて得た教訓を広く伝えなければならないという思いをベースとしていること。同じような災害対策なら、今の自分が当時と同じメンバーで担当すれば、その時の半分の時間で完了できると思われるものも多い。しかし、東日本大震災津波ほどではなくとも大災害は滅多になく、その対策のノウハウの蓄積は、社会全体としても少ない。かなり可視化は進んだが、暗黙知の部分も、まだまだ多い。「どんな」災害対策を「どのように進めたか」だけでなく、当時「何を」「どう悩んだか」も伝えようと試みた。

2 災害対策そのものの難しさと広範さ

 このような狙いをどこまで達成できたかは心許ないが、実現するために非常に苦しんだので、筆者自身も慰めるべく、「読後」感想ならぬ「筆後」感想(言い訳?)を述べる。

 これまで行われてきた災害対策を振り返り、国や全国の自治体のいろいろな種類のものを見ると、災害対策はいかに難しいものであるか、あらためて痛感する。態様が全く同じである災害はあり得ないうえ、時間の経過とともに事態やニーズは変容する。それにもかかわらず、即妙さが要求される。それも、通常業務と比べるべくもないほどの迅速性とともに。しかも、住民そして社会の厳しい視線に晒されながらである。そのような事情をよく知っているはずの所属組織からも、「今よりも早く!」と言わんばかりの「あり得ない」スピードが求められる。全く過酷だ。住民の生命・身体や生活にも直結し、その地域の未来を半永久的に決定する要素を多分に含み、責任はきわめて重大である。

 また、対象も内容も甚だ広範である。阪神・淡路大震災での広い分野をカバーする『大震災の法と政策』(日本評論社・1995年)を著され、東日本大震災津波以降も災害対策に関する刺激的な論文の公表を続けておられる阿部泰隆先生をして「災害の……とうてい全体に通ずることは不可能」(自治研究95巻10号〔2019年〕4頁)と言わしめているほどである。『防災法』(信山社・2013年)を著された生田長人先生に至っては、「膨大な専門的知見を必要とし、……残念ながら明らかに自分の手に余る」とされている(同書ⅳ頁)。災害対策は、いずれのフェーズを見ても、防災だけでなく保健福祉や産業そして教育などジャンルとしても、ハード事業やソフト事業など内容としても、範囲や程度も深くかかわる。

 災害対策は、これまで読者が受けてきた(あるいは今でも受け続けている?)と思われる試験になぞらえることができよう。しかも、「実力テスト」あるいは(どこに入るわけでもないが)「入学試験」と共通する面が多い。それは、期末テスト等とは違い、具体的な「出題」の範囲が示されず、「難易度」は相当高いからである。まさに、その時点でのその地域の「総合力」そして「実力」が問われると言えよう。しかも、「制限時間」に、それも最高に厳しく追われ続ける……!

3 災害対策法制の難しさ

 規定の文言に、「災害対策」が含まれているのは法律だけでも55本、「災害」となると約550本存在する。政省令や条例等を合わせると相当の法令群であり、法制を成す。しかし、その災害対策法制は、必ずしも実践的に体系立っているとは言えない。筆者は、その大きな原因の一つを、災害対策の真の目的すなわち核心が今ひとつ明らかではないことにあると考えている。それでは、立法するにしても、解釈・運用するにしても、目的あるいは原理に照らして行うことは難しい。畢竟、それぞれの災害対策が、それらに収斂していくか、合理性を備えているか確認することも難しい。

 また、災害対策とりわけ復旧・復興とは何か、どの状況や時点をもって終了と言えるのかもはっきりしていない。それでは、災害対策に携わる主体が、いつまで、そしてどこまでやればいいかわからない。災害対策を行ううえで、おそらく最も重要な、住民が復旧・復興を実感し、本来の幸福追求に向かおうという意識の醸成にも良い影響を与えていないように思われる。

4 東日本大震災津波を踏まえたことの難しさ

 読者が災害対策をビビッドに「体感」し、東日本大震災津波及びその災害対策を広く知ってもらい、そこから得た教訓を可能な限りお伝えしたい一心で、いな責務であるとさえ考え、拙著を書き進めた。筆者が経験したり仄聞した岩手県のものが中心であるがゆえの限界があることは言うまでもない。

 しかも、未曽有の災害であり、かつてない対策が今も講じられており、まだ「道半ば」である。拙著の執筆を命じられた2014年の夏から冬にかけては、岩手県において、とうに応急対策は終了し、復旧・復興も本格化していた時期である。それにもかかわらず、先行きが見えない部分も少なくなかった。こと復旧・復興については、データに基づいて執筆できる状態ではなかった。筆者の遅筆が最大の要因であるが、刊行が5年後の今になってしまった理由(最大の言い訳)でもある……。すみませんでした……。

5 入門書の難しさ

 名著『法学の基礎』(有斐閣・〔第2版〕2007年)の著者でおられる団藤重光先生が、そのもととなった『法学入門』(筑摩書房・1973年)のはしがき(1~4頁)や執筆についての対談録(同書付録一(同年)7~8頁)で、次のように述べられている。法学入門とは登山のガイドと同じで、相当の経験を積んで山を知り抜き、どう登れば安全かを示せなければならないという困難さがある。また、法学入門は法学出門と言われるが、入門書を書いてはじめて法学に入門したような感じがすると。我が師であり拙著の編集代表でもある北村喜宣先生がストゥディア『環境法』(有斐閣・〔初版〕2015年)を著された際に、「『何をどこまで書くか』は、入門書の執筆者のすべてが頭を悩ませる点」と述べられている(「自著を語らせる」書斎の窓2016年1月号5頁)。浅学の筆者が、両先生の真意を正しく理解できているかは心許ないが、入門書執筆の難しさには大いに共感する。

 日本では、分野を問わず、「見切り」に美学を見出すことが多い。言葉としては理解しているつもりだが、筆者は到底その域に達していない。しかし、入門書である以上、情報を不足なく正確に伝えたい一方で、読者が全体を大づかみできるよう、文章とともに泣く泣く減量しなければならかった。(冗長と評されることが多いが)きっちり論述したい筆者としては、情報の量や範囲や程度をどの程度切るかという「見切り」は難しさとともに辛さを伴なった。

 拙著が社会科学の書の体もなすには、客観的にプレーンに書くべきことは重々承知している。一方、冒頭に述べたように筆者の思い入れも強い上、入門者に少しでもわかりやすく、現場を少しでもリアルに再現してもらうには、むしろ感じたことを生のまま盛り込んだ方がいいだろうと考えた。それゆえに、拙著は、主観と客観の間で揺れている……。そのバランスが、いかに難しいことか……。

「入門は出門である」という言葉を、今、実感を持って噛みしめている。

6 2019年台風19号に接して

 拙著発売2日後(10月12日)、本稿執筆中に台風19号が岩手県に接近し、同日に岩手県災害対策本部が設置され、同本部支援員である筆者は災害予防及び初動を含む応急対策に携わった。拙著の執筆を通じ、東日本大震災津波の際の体験から得た教訓と実務及び法制を著者自身が「大づかみ」できていたことは非常に大きかった!!!

7 災害対策の実務を担う皆さん、そして研究し実践する自分に向けて

 災害対策の実施や充実において、それ自身の目的が明確でないことが課題であると述べた。現時点で筆者が思うのは、災害対策の目的は、住民の幸福追求権が災害により侵害されることを防ぎあるいは最小限に食い止め、それを早期に回復することではないかということである。そして、安全・安心に住みたいところに住んで生活でき、望む人生を実現し、あるいはそうできるよう努力することではなかろうか。そのため、筆者は、災害をできるだけ回避し、被災を最小限にとどめ、できるだけ早い復旧・復興の実現に、多少なりとも貢献できるよう、研究そして実践に臨みたいと考えている。今後とも、皆様から御指導を賜れれば幸いである。

有斐閣 書斎の窓
2020年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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