日本の革新的企業家たちが綾なす『イノベーションの歴史』

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イノベーションの歴史

『イノベーションの歴史』

著者
橘川 武郎 [著]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/経営
ISBN
9784641165526
発売日
2019/11/29
価格
2,750円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

日本の革新的企業家たちが綾なす『イノベーションの歴史』

[レビュアー] 橘川武郎(東京理科大学大学院経営学研究科教授)

3つのイノベーション観

 2019年11月、有斐閣から『イノベーションの歴史――日本の革新的企業家群像』を刊行する機会を得た。

 大きく言って、イノベーションについては、2つのとらえ方がある。シュンペーター(Joseph A. Schumpeter)のとらえ方とカーズナー(Israel M. Kirzner)のとらえ方が、それである。

 シュンペーターは、「創造的破壊」を核とするダイナミックなイノベーション観を打ち出した。それは、(1)新製品の開発、(2)新製法の開発、(3)新市場の開拓、(4)新原料市場の開拓、(5)組織の革新、からなる新結合を重視する考え方であり、均衡を破壊する「ブレークスルー・イノベーション」と概括しうるイノベーションのとらえ方である。

 一方、カーズナーは、不均衡の存在を前提として、そこから最適の均衡へ向かう競争プロセスを重視するイノベーション観を提示した。この考え方によれば、均衡の破壊ではなく、均衡を創造する累積的で漸進的なイノベーション、つまり「インクリメンタル・イノベーション」こそが重要な意味をもつ、ということになる。

 もちろん、現実の歴史過程では、ブレークスルー・イノベーションとインクリメンタル・イノベーションが、同時に発生しうる。しかし、このような二分法の視角を導入することは、イノベーションの本質を理解するうえで有効だと考える。

 これまでイノベーションについては、シュンペーター流のブレークスルー・イノベーションとカーズナー流のインクリメンタル・イノベーションという二つのとらえ方が併存してきたが、最近になって、それらとはまったく異なる新しいイノベーション観が登場した。ハーバード大学のクレイトン・クリステンセンが一九九七年に刊行した名著The Innovator痴 Dilemma(Harvard Business School Press, 邦題『イノベーションのジレンマ』)のなかで提唱した「破壊的イノベーション」が、それである。

 「破壊的イノベーション」とは、既存製品の持続的改善につとめるインクリメンタル・イノベーションに対して、既存製品の価値を破壊してまったく新しい価値を生み出すイノベーションのことである。インクリメンタル・イノベーションによって持続的な品質改善が進む既存製品の市場において、低価格な新商品が登場することが間々ある。それらの新製品は低価格ではあるが、あまりにも低品質であるため、当初は当該市場で見向きもされない。しかし、まれにそのような新商品の品質改善が進み、市場のボリュームゾーンが求める最低限のニーズに合致するレベルに到達することがある。その場合でも、既存製品の方が品質は高いが、価格も高い。それでも、新製品がボリュームゾーンの最低限のニーズにまで合致するようになると、価格競争力が威力を発揮して、新製品が急速に大きな市場シェアを獲得する。一方、既存製品は、逆に壊滅的な打撃を受ける。これが、クリステンセンの言う「破壊的イノベーション」のメカニズムである。

3つの問いと3つの局面

 3部構成をとる拙著のねらいは、イノベーションのあり方の変化に注目して、日本の経済発展の流れを明らかにすることにあった。その際、あらかじめ解くべき問いを3つ掲げ、第1~3部のそれぞれで、問いの一つ一つに答えを導いた。

 第1部で検討したのは、「日本経済はなぜ早期に離陸し成長軌道に乗ったのか」、という問いである。日本経済の離陸は、欧米先進国以外の後発国・地域のなかでは最も早いものとなったが、それを可能にした要因は、ブレークスルー・イノベーションに求めることができる。

 第1部の前半では、江戸時代に活躍した鴻池善右衛門、三井高利、中井源左衛門を取り上げた。当時、日本は鎖国によって海外と切り離されていたのであり、日本におけるイノベーションは「世界」におけるイノベーションと同義であった。その点を考慮に入れれば、彼らは、「世界初」のブレークスルー・イノベーションの担い手だったとみなしうる。

 第1部の後半では、専門経営者の中上川彦次郎、資本家経営者の岩崎弥太郎・岩崎弥之助・安田善次郎・浅野総一郎、出資者経営者の渋沢栄一という、6人の革新的企業家に目を向けた。彼らが遂行した事業革新は、基本的にはインクリメンタル・イノベーションであったが、それらが組み合わされて出来上がった専門経営者・資本家経営者・出資者経営者が相互促進的に連携するユニークなシステムは、欧米以外では最初の工業化を日本において実現する原動力となった。その意味では、第1部後半で取り上げた企業家たちは、全体としてみれば、「最初の後発国工業化」をもたらす世界史的な意味をもつブレークスルー・イノベーションの体現者だったとみなしうる。

 江戸時代の個別的なブレークスルー・イノベーションを前提条件とし、幕末開港~日露戦後期の総合的なブレークスルー・イノベーションを直接的な契機として、後発国で初めての工業化が日本で進行することになったのである。

 第2部で検討したのは、「成長軌道に乗った日本経済は、どうして長期にわたり世界史にも稀な高成長をとげることができたのか」、という問いである。この問いに対しては、「インクリメンタル・イノベーションの帰結として、内需主導の長期にわたる相対的高成長が実現した」、という答えを導いた。

 日本経済は、1910年代から1980年代にかけて、東アジアの他の諸国・諸地域の場合とは異なり、内需主導型の相対的高成長を続けた。内需の拡大は、洋風化をともなう消費革命の進行と活発な民間設備投資の推進によって引き起こされた。第2部で取り上げた小林一三・二代鈴木三郎助・豊田喜一郎・鮎川義介・出光佐三・松下幸之助・井深大・盛田昭夫・本田宗一郎・藤沢武夫の活動は消費革命の進行と、松永安左エ門・野口遵・西山弥太郎・土光敏夫の活動は民間設備投資の推進と、それぞれ密接に関連していた。

 彼らは、総じて言えば、「改善」という言葉に象徴されるインクリメンタル・イノベーションを積み重ねた。一連の革新的企業家活動は、日本企業の組織能力を高め、日本経済の長期にわたる相対的高成長を可能にしたのである。

 第3部で検討したのは、「日本経済の長期的にわたる相対的高成長が、1990年代初頭のバブル景気の崩壊によって一挙に終息し、その後の日本経済の失速状態が今日まで続いているのはなぜか」、という問いである。この問いに対する答えは、日本企業が2つのイノベーションに挟み撃ちされるようになったからだ、と要約することができる。

 1つ目は、ICT(情報通信技術)革命にともなうブレークスルー・イノベーションの進展が、「先発優位」の時代を到来させたことである。日本企業が得意としていたインクリメンタル・イノベーションにもとづく「後発優位」の戦略は、デファクト・スタンダードを確保した先発企業が利益の大半を手にしてしまう「先発優位」の時代には、効力を失うことになった。

 2つ目は、クレイトン・クリステンセンが『イノベーションのジレンマ』のなかで明らかにした「破壊的イノベーション」である。「付加価値製品の急速なコモディティ化(価格破壊)」、「日本製品のガラパゴス化」などの近年頻発する現象は、この「破壊的イノベーション」と深くかかわり合っている。

 日本企業は、先進国発のブレークスルー・イノベーションと、後発国発の「破壊的イノベーション」との挟撃にあって、苦戦を強いられている。第3部の問いに対する答えは、この点に求めることができる。

イノベーションの再生

 日本企業は、先進国発のブレークスルー・イノベーションに対しても、後発国発の破壊的イノベーションに対しても、正面から対峙しなければならない。そして、的確な成長戦略を採用し、拡大するローエンド市場と収益性の高いハイエンド市場を同時に攻略する「2正面作戦」を展開することが求められる。

 今日においても、日本企業には2つのフロンティアが存在している。それは、(1)成長を続ける新興国市場と、(2)構造変化をとげつつある国内市場とである。したがって、新興国市場への浸透ないし内需の深掘り(製造業とサービス業の結合、農商工連携、医療・福祉中心のまちづくりなど)という的確な戦略をとれば、企業は成長することができる。そして、それが実現すれば、日本国内での雇用創出にもつながる。

 低迷する日本経済を再生させる鍵は、個々の企業が成長戦略を明確にし、中長期的に株主利害(株価上昇)と従業員利害(待遇改善)とを一致させることにある。的確な投資が行われ企業が成長すれば、株価上昇と待遇改善が同時に達成され、株主利害と従業員利害とが対立することはなくなる。人口減少に転じた日本では成長戦略をとることは困難だとの見方もあるが、目を世界に広げ事業をグローバル展開するか、国内における構造変化に対応して内需を深掘りするかすれば、企業が成長戦略を見出すことは大いに可能である。

 そのためには、1990年代以降の時期に日本経済の機能不全をもたらした「投資抑制メカニズム」を克服することが、喫緊の課題となる。日本企業が活気をとりもどし、国内でも次々と「破壊的イノベーション」が生じるような状況を再現するためには、そしてさらには、「先発優位」を獲得できるようなブレークスルー・イノベーションをも実現するためには、「投資抑制メカニズム」の克服が何よりも必要である。拙著の第3部で取り上げた稲盛和夫・鈴木敏文・柳井正・孫正義の4人は、90年代以降も例外的に「投資抑制メカニズム」に陥らず、的確な成長戦略をとり続けた革新的企業家だった。彼らのような存在が「例外的」でなくなったとき、日本におけるイノベーションの再生は達成される。

有斐閣 書斎の窓
2020年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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