『涙をなくした君に』
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正しさに、首を締められる 妻、そして母
[レビュアー] 大泉りか(官能作家・ライター)
愛された記憶のない人間に、「家族」を大切にすることができるのか? 両親の愛を享受できなかった記憶に抗い続けながらも、いまだに過去から逃れられない女性・橙子の生活を描いた小説『涙をなくした君に』が刊行! 官能小説家として活躍する一方で、女性や子育てに関する問題を取り上げたコラムを手掛ける大泉りかさんが作品の魅力を語った。
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以前「息子が赤やピンクのランドセルを欲しがった。親はどうする?」という取材記事を書いたことがある。男児は7割近くが黒を選ぶ一方で、女児の選ぶ色のバリエーションは、赤を始めとしてピンク、紫、水色と分散しているという現況を踏まえ、服飾史研究家や、色彩心理学者、教育学博士などの専門家に話を聞き、男児も自由に、自身の好きな色のランドセルを選ぶための方法を探ったのだが、その時に思い出したのは、「そういえばわたしは、『何色のランドセルがいい?』なんて聞かれもしなかったな」ということだった。
もちろん現在とは違い、昭和の頃だから、そもそもランドセルの色バリエーションがなかったこともある。けれども今に比べると、当時は「子どもの意見を聞く」という概念自体が薄く、その人権が軽視されていたというか、一般の親たちの多くが“子は親のもの”という意識を強く持っていたようにも思える。
前置きが長くなってしまったけれど、橙子もまた、「男の子だから」という決めつけをしないよう心がけていて、息子の蓮がおままごと用のキッチンセットで遊んだり、ぬいぐるみを可愛がったり、ビーズでアクセサリーを作ることを「自分らしく生きている」と好意的に受けとめている。にも拘わらず、小学校の入学準備としてランドセルを選ぶ際に、「赤もカッコイイよね」という蓮に対して、「男なのに赤を選ぶなんておかしい」という自分の父親の意見に従い、黒いランドセルを与えてしまうのだ。
大人になり、結婚をして子を産み、自分の家庭を築いてもなお、橙子は親の影響下から抜け出せてはいない。しかし、その事実に橙子は自覚的でもある。高校時代に「機能不全家庭」という言葉を知って「我が家のことだ」と衝撃を受けたことをきっかけに、大学では心理学を学び、そして現在はカウンセラーという職に就いた。ゆえに、父親がなぜ家庭内で怒鳴り散らし、時に暴力をふるっていたのか、母親はなぜ、黙ってそんな夫に従っていたのか、そしてなぜ自分は、そんな父親に抗えないのか、常に内省して分析を重ねている。そんな橙子を「いちいち、そんなに物事を深く考えたら、しんどくない?」と思える人は、たぶん生きやすい人だと思う。生きづらさを感じていて、少しでも生きやすくなる方法はないかと、切実な思いを持っているからこそ、目の前の出来事に対して、「どうすればいいのだろうか」「なぜ、こうなってしまうのか」と考えざるを得ないのだ。
過干渉、支配的、子どもの考えを尊重しない……最近はすっかり知られる存在となった“毒親”だが、その対処法は「とにかく逃げる」がもっとも有効とされている。橙子もまた、実家を出てからは極力連絡を取らず、関わらないようにしていた。が、蓮が生まれたことで度々交流を図るようになる。それは、自らの都合で蓮から「祖父」を奪うことは、息子への支配だと考えているからだ。
そういうことも含めて、橙子は非常にまじめで、正しい人間だ。けれども、いざ家庭作りを実行しようとした時には、その正しさが橙子の首を締める。子どもが就寝した後に解放感を得るのは、当然のことだけれども、橙子は、それをも当然と考えることが出来ずに罪悪感を抱いてしまう。
専業主婦であることに誇りを持ち、家事を完璧にこなしていた母のようにはなれないことへの罪悪感、自己中心的で共感力の欠如した父に似ている部分があるのではないか、という疑惧。そうやって、切り裂かれながらも、なんとかバランスを取って仕事と家庭に生きている橙子に、物語中盤、新たな問題が降りかかる。父親の癌が発覚するのだ。
すでに父とは離縁した母、橙子よりもさらに折り合いの悪い妹の両者は、一切面倒を見るつもりはないと、放棄の意を示す。橙子は、そこまで冷淡にもなれず、闘病に付き添うことになる。これまでなんとかして保ってきた父親との距離感が崩れたことで、橙子はさらに自分の心の奥深くを、覗き込むことになるのだが……。読後、まるでカウンセリングを受けて、心の中の問題が一つ解決したような気持ちになった。
※正しさに、首を締められる 妻、そして母――大泉りか 「波」2020年1月号より