<東北の本棚>仙台藩と農村リアルに

レビュー

3
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

<東北の本棚>仙台藩と農村リアルに

[レビュアー] 河北新報

 仙台藩の下級武士が残した見聞録を現代語訳し、解説を加えた。農地開発、山林経営、藩主が鷹(たか)狩りに訪れる狩り場の保護。知行を受けるサラリーマンであるとともに、地域を経営する立場でもあった在地の武家と農村の暮らしを生き生きとよみがえらせた。
 桃生郡深谷須江村(現在の石巻市須江)の藩士矢島喜太夫が、江戸時代中期の享保元(1716)年から宝暦7(1757)年の42年間にわたって書き留めた「二樅亭(にしょうてい)見聞録」を解読した。須江の農民はイノシシに田畑を荒らされて困っており、鉄砲の使用許可を藩に願い出た。「鉄砲を撃つのは問題がある」と捉える役所と、最初は弾を入れない空鉄砲で妥協。最終的に鉄砲が一部解禁された。
 藩は年貢米や自家消費米を差し引いた「作徳米」を強制的に買い付け、農民が自由に米を販売することを禁じた。冬場に安い値段で買い付けた米を江戸で高く売りさばき、藩の収入源としたためだ。見聞録には麦の通行許可に関するくだりがあり、麦も買米制の対象だったことが考えられるという。
 北上川の堤防が洪水で決壊した記録もある。当時、堤防本体の維持管理は藩が担い、用水路やせきなどは村が修繕するのが原則だった。しかし、享保6(1721)年の洪水の際は「近年にない大洪水で、手に負えない」と訴え、藩に用水路の工事を嘆願した。そこに矢島も、地域代表の一人として名を連ねている。
 矢島は藩中興の祖、伊達吉村に仕え、鷹狩りの世話役である「御鳥見役」を務めた。徳川幕府の生類憐(あわ)れみの令で禁じられていた狩りが吉村の時代に復活され、その「山追い」の様子も伝える。
 支倉家の血を引く郷土史愛好家支倉清さんの研究を、書をたしなむ妻紀代美さんが古文書解読の面で支えた。
 築地書館03(3542)3731=2640円。

河北新報
2020年1月19日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河北新報社

  • このエントリーをはてなブックマークに追加