[本の森 仕事・人生]『うつくしが丘の不幸の家』町田そのこ/『わたしの美しい庭』凪良ゆう
[レビュアー] 吉田大助(ライター)
年末年始になると、前の住人宛てのダイレクトメールが届く。それらを受け取るたびに、今住んでいる家にはかつて別の人が住んでいたこと、自分もまた別の家から引っ越してきたんだという事実を思い出して、時空がぐにゃりと歪む。「女による女のためのR-18文学賞」出身の町田そのこは『うつくしが丘の不幸の家』(東京創元社)で、新興住宅地にある一軒家を舞台に、ぐにゃりの連鎖を紡いでいる。
「第一章 おわりの家」に登場する美容師の美保理は、築二五年の三階建て一軒家を購入し、リフォームした一階で夫と理容店を営む予定だ。オープン間近で多忙なさなか、夫が実家の理容店の手伝いに駆り出されたことから、負の記憶が蘇る。本当は夫が実家を継ぐはずだったのに義弟に横取りされたこと、それを決めたのは義父だったこと。心細さが、もう一つの記憶を蘇らせる。〈ここが「不幸の家」って呼ばれているのを知っていて買われたの?〉。家の前を通りがかった中年女性から投げつけられた言葉だ。〈この家に住むと必ず不幸になって出て行くのよ〉。だが――自分(たち)の人生が不幸かどうかを決めるのは、他人ではないのではないか? 美保理が隣人や夫との対話の中から、その仮説を得たところで第一章は幕を下ろす。第二章以降は、その仮説を裏付けるケーススタディだ。築一九年、築一一年、築六年……。章が進むごとに時間軸が過去へと巻き戻り、それぞれの家族がどんなきっかけでこの家を出て行くことになったのかを、「やわらかなミステリー」とでも言うべき著者ならではのドラマテリングで描き出していく。幸福か不幸かの具体的なジャッジを、登場人物自身は下していない。けれど、読めば必ず、彼らの内側に宿る感情に触れることができるだろう。
BL出身・凪良ゆうの『わたしの美しい庭』(ポプラ社)の舞台は、マンションの屋上庭園に小さな祠を構える「縁切り神社」。そのマンションに居住者として暮らす、あるいはそこを訪れる人々を描いた連作集だ。初恋相手が忘れられない三九歳の病院の事務職員、元カレからの突然の連絡に動揺するゲイのバー店員……。毎日誰とどんなご飯を食べていて、どんな家にどんな自分の部屋を築き、恋人や友人、家族や職場の人間とどんな繋がりを結んでいるか。登場人物それぞれの生活をきっちり描くことで、それぞれの人生を立体的に浮かび上がらせていく物語は、各話のラストで必ず「縁切り」の儀式を描く。彼らは己に降りかかる不幸を撥ね除けようとしているのだが、いわゆる神頼みをしに来ているわけではない。自分の決断を報告しに来ているだけなのだ。序章で初登場し終章でも現れる、ただただ神頼みをしに来ている女性の存在が、各話の主人公たちとの違いを象徴的に表しているだろう。
幸福か不幸かは、自分で決める――。うつくしが丘の一軒家と縁切り神社を擁するマンションは、物語の地図の上では隣り合っていた。