『痴漢とはなにか』
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システムの中で無効化される暴力
[レビュアー] 田島ハルコ(シンガーソングライター・トラックメイカー)
本書では、痴漢にまつわるあらゆる事実が淡々と語られている。メディアが性暴力を無効化するような認識を世に供給し、それによって司法のシステムまでもが機能不全を起こしてしまう。問題は被害者や加害者といった「個人」にあるのではないことを改めて思い知らされるような内容だ。
本書で出典されている、古くは70年代の男性誌で用いられる痴漢にまつわる表現の数々をみれば、まともな感性を持った人なら怒りがこみ上げるだろう。あるいは女性なら、怒ってもどうしようもないような虚脱感しか得られないかもしれない。しかし、メディアが流布してきたそういった情報が積み重なり、社会の共通認識となっていることは紛れもないだろう。さらに時代が進めば、「冤罪被害を産む」という理由で被害者の声が抑圧されていくが、その違和感の正体を本書は明らかにする。
声を上げてもあらゆる仕組みがそれを無効化する。女性たちはそんな場所で生きているのだ。
思い切り誰かを罵倒したり暴力を振るった側が喩えようもないほどスカッとするのと同じように、加害者はきっとフワフワと夢見心地なのだろう。片や被害者は、怒りに震えながら1日をやり過ごすことしかできない。性暴力は男性の性欲の問題ではなく、文字通り「暴力」の問題である。それなのに被害者が割りを食うことになるのはなぜか。本書を読めば、この社会が女性やマイノリティーが不在のまま合意を形成してきたことが原因だと改めて分かるだろう。
本書の「おわりに」まで読み終わり、私は、女性専用車両に乗った時のような安堵感を覚えた。女性専用車両での安堵感の正体は、そこにいる女性たちの、いわばシスターフッドのようなものだろうか。「今日、クソな世の中をこれから生き抜いていく」女性たちの集団は紛れもなく誰しもが生身で、ボロボロでもキラキラしている。「はしたない」だとかどんな理不尽に貶されても、揺れる電車の中巧みにアイラインを引いたり、カロリーメイトを頰張ったり、時に、誰かが貧血で倒れたら助け合ったりする。小さな隙間でその場限りのそれぞれの居場所を構成する「個」の集団がそこにある。社会のネガティブな要因から、権利を暴力で奪い合うことのない平和な空間が誕生してしまったかのようだ。
私たちは今、苦しみを分かち合い、手をとってより良い未来を作っていくしかない。かつて警察官として様々な経験をしてきた著者が女性学を経由し、あらゆる資料から得られた客観的事実の集大成ともいえる本書が世に出されることで、社会により良い変化が起こることを願ってやまない。