木澤佐登志が読む傑作グラフィックノベル『サブリナ』。飼い猫は失踪する。猫は帰ってこない。そして……。

レビュー

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サブリナ

『サブリナ』

著者
ニック・ドルナソ [著]/藤井 光 [訳]
出版社
早川書房
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784152098832
発売日
2019/10/17
価格
3,960円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

猫と和解するために

[レビュアー] 木澤佐登志(文筆家)

 たとえ、生涯におけるフィクション、それも、猫が飼い主から唐突に逃げ出した、もしくは(同じことだが)忽然と姿を消した後、結局最後まで飼い主の元に帰ってこない、というフィクションに限った上でのオールタイム・ベストを二本(二冊)選べ、と何の前ふりもなく言われたとしても、僕はほぼ迷いなく、ロバート・アルトマン監督の映画『ロング・グッドバイ』(一九七三)、そして本書、ニック・ドルナソ『サブリナ』を選ぶだろう、それも決然とした態度で。

 前者は言うまでもなく、ハードボイルドの巨匠レイモンド・チャンドラーの代表作をアルトマンが映画化したものである。少しやさぐれたフィリップ・マーロウ、それを叩き起こす飼い猫、深夜三時。物語の導入としては完璧すぎる。問題は次だ。マーロウはキャットフードを買いに出るが、最寄りのマートはあいにく愛猫御用達のブツを仕入れていなかった。そこで、アパートに帰宅したマーロウは秘策(というか苦肉の策)に打って出るのだが、これを容易に見抜いた愛猫は、飼い主に愛想を尽かしたかのように専用の戸口から出ていったのだった。以後、彼が映画に戻ってくることは遂にない。それと入れ替わるようにマーロウの前に現れるのは、野良犬たちだ。

 だがそれはよい。そんなことより僕は、この映画の衝撃的なアンチクライマックスよりも、猫の行方が気になって仕方なかった。それよりも猫はどこへいった? だが、英語字幕でちゃんと観返してみると、この映画が一貫して「猫の喪失」をテーマにしていたことがわかるようになっている。マーロウは最後まで猫のことを、たった一人の友人のことを考えていたのだ。ありがとう、マーロウ。

 だが、感謝を捧げている場合などではない。既に文字数は七〇〇字オーバー。未だ書評は始まっていない。

 手っ取り早く済ませることにしよう。本書『サブリナ』には飼い猫が出てくる。猫は失踪(家出、蒸発、誘拐、等々……)する。猫は帰ってこない。以上。

 正確を期するなら「以上」ではない。なるほど、猫の立ち去った後の世界に残るのは、人間が生み出した陰謀とパラノイアの集積だ。SNSにおける相互監視、どこからか発信される種々のプロパガンダと陰謀、遍在するポスト・トゥルース……云々。

 猫はそうした世界からあっさり退場してしまう。とても澄ました顔で。そもそも、猫には人間の小細工(陰謀)なんて通用しない、というのは『ロング・グッドバイ』でマーロウが証明してくれた通りである。

 だが、哀れな我々人間たちはそうもいかないようだ。彼らは物語の内部に取り込まれたまま、無理やりフレームの中心付近に据えられ、そこでうまく身動きが取れなくなってしまう。彼らにできることといったら、取り乱したり、叫んでみたり、せいぜい他者に暴力を振るう(あるいは素振りを見せる)ことぐらいだ。退屈なルーチンワーク。

 それにしても、あの猫は一体どこへいってしまったのだろうか。

河出書房新社 文藝
2020年春季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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