「江戸時代の災害の記録」がオランダに残っていた 外国人の客観的な視点からみえてきたもの

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ベルギー出身の研究家が繙く外国人たちが見た江戸の災害

[レビュアー] 古谷経衡(著述家)

 近年、幕末を除く江戸時代の研究は、日本人研究者ではなく、むしろ海外出身研究者の手によるものが大きな比重を持ち、また注目されている。それは幕藩体制下で新教国の蘭英(のちに英国は除外)のみに通商権が認められていたからで、特に長崎・出島に居住するオランダ商館長の日記が、オランダ側に大量に現存していることが、海外での研究を発展させてきたのだ。母国人でない第三者が前近代国家の風俗や事件を記録した資料は、何にも増して客観性があり、新発見がある。そうした意味で「犬将軍」と長らく日本側で揶揄され、暗愚な将軍とされた5代綱吉の評価が、ベアトリス・M・ボダルト=ベイリー氏(独出身)の手によって一八〇度転換したのが好例である。ここでも、論拠とされたのは当時オランダ商館付医師を務めたケンペルの一次資料(日記)である。

 本書は、ハーグ国立文書館に収蔵された歴代のオランダ商館長の日記に基づき、ベルギー出身の日本史研究家、フレデリック・クレインス氏が、特に江戸期に頻発した地震、火山噴火、市街を焼く大火、津波等々の災害に焦点を絞って執筆した随一の江戸研究本である。驚くべきことに、歴代オランダ商館長の日記をもとにした細密な西洋画は、江戸の大火や地震、富士山噴火を画像資料として描き残しており、これだけでも江戸期の重層的な理解に繋がる。そして本書は、この時代の災害復興に忙殺される日本人庶民の姿だけではなく、あっけらかんと災害をやり過ごす町人の逞しさも描写する。

 また災害に何とか人知で対抗しようとする行政の悪戦苦闘を描く行政史の一面も併せ持っている。例えば、大目付・井上政重は、1655年にオランダ商館長となったブヘリヨンを通じて、オランダ製の最新消火ポンプを輸入。実際、オランダ商館長側の記録にも、将軍・吉宗から「オランダ人はどのように消火するのか」と質問があった記録が残されており、日本でポンプが使用されることになった経緯がわかる。江戸の人々は、ただ呆然と自然の脅威の前に立ちすくむ無力な存在ではなかったことを、本書は教えてくれる。

 その他にも縷々、歴代商館長と幕府行政官との災害に関する連絡と雑感が記されている。第三者による災害の描写は息をのむほどの迫力で、現代的災害の悲惨さと何ら変わるところがない。新書でありながら、江戸という世界を身近に感じ、知る上で第一級の読み物に仕上がっている。

新潮社 週刊新潮
2020年1月30日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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