雲…エリック・マコーマック著 東京創元社

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雲

『雲』

著者
エリック・マコーマック [著]/柴田 元幸 [訳]
出版社
東京創元社
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784488016746
発売日
2019/12/20
価格
3,850円(税込)

書籍情報:openBD

雲…エリック・マコーマック著 東京創元社

[レビュアー] 木内昇(作家)

 物語は、主人公ハリー・スティーンがメキシコの古書店で、一冊の本と出会うところからはじまる。大判の革表紙に印字された題名は『黒曜石雲』。なにげなく手に取り、扉を開き見て彼は息を呑(の)む。ダンケアンという、若かりし日を過ごした土地の名が刻まれていたからだ。

 黒曜石雲に覆われたかの町に起きた「奇怪な出来事」が、本には記されていた。実際にあった話なのか、筆者はどんな人物なのか。ハリーは、稀覯(きこう)本専門の学芸員に協力を請い、解き明かしていく。それはかつて彼が経た、ミリアム・ゴールトという女性との悲恋と、その後の流転の日々を、再び辿(たど)る行程でもあった。

 貨物船の甲板員として外国を巡り、採鉱企業の英語教師の職を得、ある人物に誘われてビジネスの道に足を踏み入れる。彼の数奇な運命はもちろん、折々に知り合う他者が語る奇妙な逸話にも魅入られる。作中作を含め怪異が至る所に潜む様は、幻想小説の名手であるエリック・マコーマックの真骨頂だが、本書がそこにとどまらないのは、ハリーの内省を通して、生きていく中で多くが味わうだろう心情や真理がちりばめられているからだ。「私たち人間は罪悪感を抱くことがおそろしく得意だということです」。数々の深遠な言葉が鋭く迫りくる。

 ハリーの転機に、ある種の示唆を伴って書物が介在する点も興味深い。ミリアムに手渡された小説、妻とくつろいだ図書室、息子に買い与えた豆本。若く理想主義者だった彼が歳(とし)を重ねて現実的になる中でも、ミリアムとの出来事を美化せず、生々しい傷として背負い続けたのは、書物を通して自らの偽らざる心を透かし見ていたからだろうか。『黒曜石雲』の謎を追ううち、彼は自身の人生の謎にも分け入っていく。

 人はなぜ読み、また書くのか、という壮大な問いかけも感じる一書。あなたが偶然手にとったその本も、人生における必然的な意味合いをはらんでいるかもしれない。柴田元幸訳。

 <注>原題は「Cloud」です。

読売新聞
2020年1月29日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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