『快絶壮遊〔天狗倶楽部〕』
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漱石とも会っていた? 同時代作家の交遊録
[レビュアー] 北上次郎(文芸評論家)
【前回の文庫双六】飯場や坑道の描写がリアルな文豪・漱石の異色作――梯久美子
https://www.bookbang.jp/review/article/604654
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横田順彌『快絶壮遊〔天狗倶楽部〕明治バンカラ交遊録』の中に、「漱石のユーモア」という章がある。この書は、明治の冒険小説作家、押川春浪の交遊を描く歴史読み物で、夏目漱石と押川春浪が同時代の作家であったことを改めて教えてくれる。
二人は数回会っていたのではないか、と横田順彌は書いているが、それは漱石と仲のよかった随筆家、大町桂月が、押川春浪と出版社・博文館時代の同僚であったことからの推理であり、確証はないようだ。会っていても不思議ではない、とのニュアンスである。
NHK大河ドラマ『いだてん』の最初のほうの回で、羽田運動場で行われたオリンピック「ストックホルム大会」の予選会の様子が描かれていたことをご記憶の方も多いかもしれない。春浪が組織した天狗倶楽部も大河ドラマでは大活躍していたが、その運動場を作ったのが押川春浪で、予選会の半年前の落成記念に行ったのが野球の試合であることは知られている。押川春浪は熱狂的な野球ファンであった。
勇ましい冒険小説を書いたり、スポーツ社交団体「天狗倶楽部」を組織したり、野球に熱中してはいたものの、春浪自身は蒲柳の質で、体格も華奢であった。わずか三十八歳の若さで亡くなったのは、そういう体質の弱さと、長男次男母親の死が精神的にこたえたこと、さらには朝日新聞の「野球害毒論」キャンペーンとの戦いに疲弊したことなどがあげられている。
明治末年近くに、朝日新聞が野球は害毒であるとのキャンペーンを張ったことは今や忘れられているが、春浪が博文館を追われたこと、酒に溺れたこと、早世したことの遠因の一つになっていることは、横田順彌『熱血児 押川春浪 野球害毒論と新渡戸稲造』を繙けばいい。大河ドラマ『いだてん』が興味深かったのは、忘れられていた天狗倶楽部が歴史の隙間から蘇ってきたからで、あれは本当に嬉しかった。