歌舞伎から寄席、宝塚まで、松竹・吉本・東宝の創業者たちはなぜ興行に魅せられたのか

レビュー

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興行師列伝

『興行師列伝』

著者
笹山 敬輔 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
芸術・生活/演劇・映画
ISBN
9784106108457
発売日
2020/01/17
価格
902円(税込)

書籍情報:openBD

日本「興行」噺

[レビュアー] 笹山敬輔(演劇研究者)


創業者たちはなぜ興行に魅せられたのか(※画像はイメージ)

 二〇二〇年は、いよいよオリンピックイヤーである。

 それにしても、開催決定からの日本は、新国立競技場建設問題にはじまって、エンブレム盗作疑惑、招致を巡る贈収賄疑惑、マラソンの開催地変更と、オリンピックに振り回されてきた。平和とスポーツの祭典のオリンピックといえども、観客から入場料をとって娯楽を提供するイベントである以上は、一種の興行だろう。そして興行には、昔からトラブルがつきものだ。その多発するトラブルを、カネとヒトを使ってうまくおさめるのは、興行師の役目である。だから、一連の東京オリンピック問題の対応が後手後手にまわっているのは、偉大な興行師が不在だからではないかと思えてくる。

 本書は、近代日本の芸能史に登場する、五人の大興行師の栄枯盛衰を描いている。東宝の小林一三や松竹の大谷竹次郎、吉本興業の吉本せい、大映の永田雅一など、まさに興行界のレジェンドたちだ。彼らが、日本の芸能のかたちをつくったといっても言い過ぎではないだろう。彼らがオリンピックに関わることはなかったが、全く無関係というわけでもない。

 明治十一(一八七八)年に再開場した新富座は、歌舞伎の劇場だが、外国の賓客を接待し、日本の「近代化」を世界に示すための「おもてなし」の劇場でもあった。近代オリンピックが誕生する以前には、国家の威信をかけ、世界に自国をアピールする役割を演劇が担っていたのである。もちろん、これには仕掛人がいる。政界・官界と歌舞伎界をつなぎ、歌舞伎を明治政府の国家戦略の中に位置付けようとしたのは、明治の興行師・十二代目守田勘弥である。昨今、吉本興業と政治の関係がしばしば話題にのぼるが、その萌芽は明治初期にまで遡るのだ。

 また、オリンピックがもっていた、国威を発揚して国民を統合するという役割も、かつては演劇が担っていた。小林一三は、宝塚歌劇が成功してからも、男女俳優が共演し、国民が共有できる「国民劇」の創成に生涯こだわり続けた。興行師は、舞台をプロデュースするとともに、「国民」をもプロデュースしていたのだ。一方で、そのことが戦時下には暗い影を落とすことになる。

 名作と呼ばれる大河ドラマ『いだてん』と比べるのはおこがましいが、『いだてん』が「オリンピック」を通じた近代史であるなら、本書は「興行」を通じた近代史であり、「興行」に携わった者たちの群像劇である。敵味方がたえず入れ替わり、ヤクザや政治家をも巻き込みながら、相手を出し抜こうと権謀術数をめぐらす。そこまでして、彼らが「興行」に魅せられたのはなぜなのか、その一端を感じてもらえればうれしい。

※日本「興行」噺――笹山敬輔 「波」2020年2月号より

新潮社 波
2020年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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