【文庫双六】ほほえましくも悲痛 夭折した天才歌人の野球賛歌――野崎歓

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子規歌集

『子規歌集』

著者
土屋 文明 [編集]
出版社
岩波書店
ジャンル
文学/日本文学詩歌
ISBN
9784003101339
発売日
1986/03/16
価格
462円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

ほほえましくも悲痛 夭折した天才歌人の野球賛歌

[レビュアー] 野崎歓(仏文学者・東京大学教授)

【前回の文庫双六】漱石とも会っていた? 同時代作家の交遊録――北上次郎
https://www.bookbang.jp/review/article/606238

 ***

 快作『いだてん』で大暴れしたのが「天狗倶楽部」。この熱血スポーツ団体を組織した押川春浪が、蒲柳の質だったとは知らなかった。同時代人、正岡子規のことが思い出される。

 肺病にとりつかれ、血を吐きながらも自分を客観視し、ユーモアをこめて闘病の日々を俳句にした子規。彼もまた押川同様、野球が大好きだった。東大予備門(旧制一高の前身)時代に出会ったこの渡来したてのスポーツに夢中になり、一高のベースボール大会に参加したり、寄宿舎で「ボール会」を設立したりしている。だが現役プレーヤーとしての日々は短かった。やがて、何年も続く闘病を強いられることとなった。

 そうなってからも、子規の野球への想いは変わらなかった。俳句の題材にもしているが、歌集に「ベースボールの歌」として収められた短歌がいい。

「久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも」

 本来、「天」の枕詞である「久方の」をアメリカに掛けているのが面白い。アメリカ人よ、よくぞ野球を発明してくれたという感じだ。なお野球という訳語が定着するのはもう少し後のことである。

「今やかの三つのベースに人満ちてそぞろに胸のうちさわぐかな」

 満塁の好機を迎えたということか。子規は病床で、空想上の試合を楽しみ、興奮を味わっているのだ。ほほえましいと同時に悲痛でもある。しかし歌自体はじつに溌溂とした野球賛歌ではないか。

 なお、岡野進の労作『正岡子規と明治のベースボール』(創文企画)によれば、子規がやっていた頃の野球はストライクゾーンをバッターが指定し、ピッチャーの球がそこに入らないとボールとされた。ランナーの出やすいルールだったのである。また、グローブやミットはまだ使われていなかった。子規の手には病床にあっても、捕球したときのじんじんする感覚が残っていたに違いない。

新潮社 週刊新潮
2020年2月13日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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