大きな字で書くこと 加藤典洋著 岩波書店

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大きな字で書くこと

『大きな字で書くこと』

著者
加藤 典洋 [著]
出版社
岩波書店
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784000613736
発売日
2019/11/20
価格
1,980円(税込)

書籍情報:openBD

大きな字で書くこと 加藤典洋著 岩波書店

[レビュアー] 尾崎真理子(早稲田大学教授/読売新聞調査研究本部客員研究員)

 昨春、71歳で急逝した加藤典洋さんは、戦後政治の「ねじれ」に真っ向から挑み、左右両派から批判を浴びた。同時代を代表する小説を自在に読み解き、大江健三郎作品には名指しで反論を書かれたこともある。そんな時もどこか誇らしげで、怯(ひる)まなかった微笑を思い出す。

 大学教師としては、教え子の思考を伸ばす独創的な授業を行った。ロングセラー『言語表現法講義』や復刊された『僕が批評家になったわけ』(いずれも岩波書店刊)がその熱を伝える。

 遺作となった本著『大きな字で書くこと』は、広範囲の活動の基盤を成した、自伝的挿話の多い散文集。どの文章も強烈な「弱さ」を力としている。この資質は山形県警で戦中に特高主任として活動し、署長まで勤め上げた読書家の父親譲りかもしれない。東大仏文科時代に遭遇した全共闘運動は、進学や就職の難路につながり、中原中也の詩は長男の事故死によって、再び響きを増していたことも知った。

 2017年から連載されたこれらの短文は、次第に惜別した人々への思いに傾き、ある回に<ハンターがいわば深追いした。気がつくと周りは闇。>とある。病状が深刻化したのだろう。その先は遺書のように読む。

 文学者でありながら日米関係、憲法問題に関わったのは、そこにこそ<現在の文学の問題が色濃く現れている>から。ところが、蝶(ちょう)が飛び、親子が公園を歩く光景を病室から眺め、<もっと大事なことは、そちらにある>。その思いが自分の書くものをわかりにくくした、とも。これは気の弱りか。自分の本質は詩人だと最期、切に自覚されたことはもう一つの遺著、私家版の詩集に明らかだ。『大きな字――』冒頭にも「僕の本質」と題した一編の詩が置かれる。

 <誰にもいえないことを抱えることは/一枚の朴(ほお)の葉にとって/大切なことであろう>

 <表と裏があることは/一人の人間が人間であるための/本質的な条件なのだ>(部分)

読売新聞
2020年2月5日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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