【解説:安部龍太郎】渡されたたすき『「本能寺の変」はなぜ起こったか』

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「本能寺の変」はなぜ起こったか 信長暗殺の真実

『「本能寺の変」はなぜ起こったか 信長暗殺の真実』

著者
津本 陽 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784041088982
発売日
2019/11/21
価格
638円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【解説:安部龍太郎】渡されたたすき『「本能寺の変」はなぜ起こったか』

[レビュアー] 安部龍太郎(作家)

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
(解説者:安部龍太郎 / 作家)

 津本陽さんには大人(たいじん)の風格があった。

 身長が高く剣道で鍛えた堂々たる体格をしていながら、物腰は柔らかで常におだやかな表情をしておられた。

 人の話をよく聞き、言うべきことは的確に伝え、互いの意見のちがいにあまりこだわらない。

 南国和歌山で育ったおおらかさと黒潮のような強さ、そして剣道や抜刀道の鍛練によって身につけた合理性と自制心を持っておられた。

 初めて会ったのは二〇〇九年。中山義秀(なかやまぎしゅう)賞の選考会でのことだ。

 この年から選考委員に加えていただいた私は、歴史小説界の大先輩である津本さんに挨拶(あいさつ)に行った。

 この時、意外なことを言われた。

「ボクはね、本当は小説家に向いていないんですよ」

 これには啞然(あぜん)として、何と応じていいか分らなかった。

『柳生兵庫助』や『下天は夢か』などのベストセラーを書いてこられた津本さんが、小説家に向いていないとはどういうことだろうか?

 津本さんはこの時八十歳。

 すでに直木(なおき)賞の選考委員も辞しておられたが、義秀賞の選考だけには体力がつづく限り関わりたいと言っておられた。

 それは中山義秀に恩義があったからだ。

「最初に直木賞の候補になった時、義秀さんだけがボクの作品を誉めてくれたんですよ。お陰で小説を書きつづけることができたんです」

 第五十六回直木賞の候補作に、津本さんの『丘の家』が上げられた時のことだ。

 ネットで公開されている採点表を見ると、確かに九人の選考委員のうち中山だけが『丘の家』に〇をつけている。

 昭和四十二年一月の発表で、この時津本さんは三十七歳だった。

 会社勤めをやめて同人誌で小説を書いておられた時期なので、小説をつづけるかやめるかの岐路(きろ)にさしかかっておられたのだろう。

 その時救いの手を差し伸べてくれたことに深く感謝し、選考委員をつづけることで恩義に報いようとしておられたのである。

 それ以後七年、津本さんは一度も欠席することなく選考会に出られた。

 最後の三年は車椅子で参加されたが、候補作を丁寧(ていねい)に読み込んでおられることは、公開選考会場での発言でよく分った。

 作品の本質を的確にとらえ、どこが優れていてどこが足りないかを、短く過不足のない言葉で語られる。

 しかも候補作家がどうすればこの先成長できるかまで配慮した、心温まる発言なのである。

 津本さんは東北大学法学部の出身である。若い頃には和歌山で不動産業を営んでおられたこともあり、そうした経験が『土地に向って突進せよ』などの作品に結実している。

 七年間選考会で同席したり彼の作品を読んでいくうちに、津本さんが「作家に向いていない」と言われたのは、そうした経歴が影響しているのではないかと考えるようになった。

 法学は憲法や法律などの厳密な解釈と運用を基本としていて、人間の内面性や情緒とは無縁のものである。

 学生時代にそうした思考法を身につけられたことと、不動産業で数多くの人々と関わった経験が、情緒を排し合理的に人間をとらえる作風を生んだのではないか。

 その姿勢は二百万部を売った『下天は夢か』でも貫かれているが、あるいは津本さんはそれが自分の作品の欠点でもあると考えておられたのかもしれない。

 そうした求道心から生まれた自責が、「作家には向いていない」という発言につながっている気がするのである。

津本陽『「本能寺の変」はなぜ起こったか 信長暗殺の真実』(角川文庫)
津本陽『「本能寺の変」はなぜ起こったか 信長暗殺の真実』(角川文庫)

 ところが本書『「本能寺の変」はなぜ起こったか』には、津本さんの「情緒を排し合理的に人間をとらえる」という点が、長所となって余すところなく表われている。

 第一の良さは、提示する資料の選び方が適切であること。

 これは『下天は夢か』を書くために読み込んだ膨大(ぼうだい)な資料の中から、論を立てるために必要な資料を取捨選択(しゅしゃせんたく)した結果だろうが、必要だと思われる資料は欠けることなく示してある。

 しかも江戸時代に編纂(へんさん)された大名家の家記や覚え書きの類(たぐい)ではなく、同時代にその場にいた人の日記などを優先的に提示しておられるので、その場に立ち会うような現実感に満ちている。

 第二の良さは資料をもとにした推論の立て方。

 この資料をもとに考えれば、信長(のぶなが)や光秀(みつひで)はこう考えていたはずである、という考察が合理的で、なるほどそうかと膝(ひざ)を打つことが多々あった。

 まるで法廷で事件の詳細を明らかにしていく検事や弁護士のような手際で、法学部で学ばれた津本さんの真骨頂というべきであろう。

 第三の良さは武人の心情に精通しておられること。

 津本さんは剣道三段、抜刀道五段の腕前で、八十歳を過ぎても一日千回の素振りを日課としておられた。

 そうした境地に達した人だからこそ分る、戦国武将の心の機微(きび)というものがある。それを精神分析学のような手法で解説しておられるので、深く納得させられる。

 本書が刊行されてから十二年。来年の大河ドラマで明智(あけち)光秀が主人公となることもあって、再び本能寺(ほんのうじ)の変(へん)の注目が集まっている。

 近年では「石谷(いしがい)家文書」などの発見があって、変についての解釈はかなり変わりつつある。

 詳細に触れる余裕はないが、信長とこの時代をどう理解するか。その基本的な背景について、三点だけ述べておきたい。

 一、硝石や鉛の輸入について。

 火薬の原料となる硝石や弾丸を作るための鉛は、信長の時代にはほとんど輸入していた。いくら鉄砲を持っていても弾薬がなければ使えないのだから、戦国大名にとって南蛮貿易に参入することは死活問題だった。

 二、南蛮貿易に参入するには、イエズス会とのつながりが不可欠だったこと。

 マカオを主な拠点としたポルトガルの商人たちは、日本と勝手に貿易をすることは出来なかった。現代でも同様だが、ポルトガル政府の許可を得なければ密貿易として処罰されたのである。

 その貿易の認可(にんか)にイエズス会が深く関与していた。

 ポルトガルの支援を得て世界の布教に乗り出したイエズス会は、外交官や商社マンのような役目もおびていて、誰と貿易をするべきか進言する権利を政府から与えられていた。

 それゆえイエズス会が、意のままにならなくなった信長を除き、秀吉(ひでよし)を天下人に押し上げようとしたことも、あながち空論とは言えないのである。

 三、信長と足利義昭(あしかがよしあき)の力関係について。

 従来は元亀(げんき)四年(一五七三)に義昭が追放された時に、室町幕府は亡んだとされてきた。天正四年に義昭が鞆(とも)の浦(うら)に幕府を開いてからも、毛利(もうり)の居候(いそうろう)くらいにしか考えられていなかった。

 ところがこれは家康(いえやす)が信長とともに幕府と戦ったことを明らかにすれば、外様(とざま)大名に倒幕の口実を与えかねないと危惧(きぐ)した江戸幕府が、歴史の改竄(かいざん)を行なったためだと思われる。

 実際には義昭は毛利輝元(てるもと)を副将軍に任じ、奉公衆も従えて幕府としての内実をととのえていた。

 そして瀬戸内海(せとないかい)の要港である鞆の浦を押さえ、毛利と長宗我部(ちょうそかべ)を身方にしたのだから、信長と拮抗(きっこう)するとはいえないまでも、西国、四国十カ国以上を有する巨大な勢力を確保していた。

 その背景を得て、義昭が旧臣だった光秀に使者を送り、身方に引き込んで室町幕府再興を企てたことは、資料的にも証明されつつある。

 それならなぜ毛利は秀吉を追撃しなかったのか。その謎についてもいくつかの資料が解決の糸口を示しているので、追い追い明らかにされていくだろう。

 津本さんが他界されたのは、二〇一八年五月二十六日だった。

 ホテルオークラ東京で行なわれた「お別れ会」には多くの方々が集まり、津本さんの業績(ぎょうせき)と人柄を偲(しの)んだ。白い菊の花の上におかれた遺影は、大人の風格をしておだやかにほほ笑んでおられるものだった。

 行年八十九──。

 それから一月ほどして、ご遺族から津本さん愛用のネクタイが送られてきた。

 おしゃれな津本さんらしいイタリア製のもので、遺品として受け取ってほしいとのことだった。

 私は深く感動し、有難さに頭(こうべ)をたれた。

 その細身のネクタイは、志を継げという津本さんの遺志を託した、たすきのように感じられたのだった。

▼津本陽『「本能寺の変」はなぜ起こったか 信長暗殺の真実』の詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321908000082/

KADOKAWA カドブン
2020年2月16日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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