最後の楽園 服部まゆみ全短編集 服部まゆみ著 河出書房新社
[レビュアー] 栩木伸明(アイルランド文学者・早稲田大教授)
寡作だった「ゴシック・ミステリ」作家にとって、短編小説は実験の場だった。没後12年を機に、アンソロジーや雑誌の片隅に埋もれていた17編を集大成した分厚いこの本を読むと、ドラキュラや狼(おおかみ)男に捧(ささ)げられたオマージュ、金田一耕助を主人公とするパスティーシュ、一輪の薔薇(ばら)のつぶやき、ゾンビが語る物語など、じつに多彩な試みが行われていたことがわかる。
アナグラム、密室、一人二役などのトリックをちりばめたミステリは、読者が見たいものをちらつかせて巧みに誘導する。そのあげく、最後のページにたどりついたぼくたちは、真犯人が誰かに気づき、だまされたと思う。だがもちろん、推理小説の愉悦はその先にある。読者は、結末から返し読みするうちに浮かび上がる、見逃していた世界をこそ確かめたいのだから。
たとえば「葡萄酒(ぶどうしゅ)の色」を返し読みすると、読み飛ばしていた草花の名前が、秘めた恋の切なさと危うさを隠していたことに思い当たる。読み手ははっとして、それまで信じていた先入観をかなぐり捨てる。推理小説はぼくたちの精神を解き放つ装置なのだ。
ただし、この本の真ん中に据えられた中編「桜」は掟(おきて)破りである。結末部分で語り手が、「ミステリ」というジャンルの制約を逆手に取って、読者を故意に戸惑わせるからだ。その一方で、「怪奇クラブの殺人」に登場する怪奇博物館の館長は、「どんなジャンルにも優れたものと下らぬものがある。優劣はその個々にあって、ジャンルにではないんだよ」と語る。小説家が抱いていた矜持(きょうじ)がかいま見える一言である。
本書の表紙は著者の絵で飾られている。服部まゆみはそもそも銅版画家として出発した人。蝶(ちょう)が舞うケシ畑の背後から巨大な月が覗(のぞ)くその装画を、彼女のデビュー作『時のアラベスク』のタイトルをもじって、琳派(りんぱ)風アラベスクと呼びたくなった。静謐(せいひつ)にして絢爛(けんらん)な陶酔を誘う妖花たちは小説世界を映す鏡に似ている。