『卍どもえ』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
卍(まんじ)どもえ 辻原登著
[レビュアー] 重里徹也(聖徳大特任教授・文芸評論家)
◆絡み合う複雑な人間模様
テンポのいい文章が繰り広げるのは、めまいのする万華鏡のような世界だ。多彩な登場人物たちが複雑な人間模様を描き出していく。現代とはどういう時代か、平成とはどんな日々だったかが徐々に浮き彫りにされていく。
最初に物語の中心になるのは、東京・青山にデザイン事務所を構えている瓜生甫(うりゅうはじめ)だ。五十一歳。実績を積んで、いくつかの受賞を重ね、アートディレクターとしての地歩を築いている。年齢にふさわしく人生の甘いも酸いも味わってきた彼の感慨が小説の基本的な調子になるのかと思いきや、穏やかな期待はすぐに裏切られる。辻原登の小説がそんな単純に進むわけがない。
小説の視点人物が次々に動いていく。瓜生の妻はネイリストの女性と同性愛の関係を深めていく。ネイリストの女性は借金に悩んでいる。瓜生の旧知の旅行会社勤務の女性は、人生に満ち足りてはいないようだ。その夫の実業家はフィリピンで語学学校を開いて成功している。学校で教えるフィリピン人女性は育ちがいいのに多情だ。
さらに、数多くの人物が登場する。瓜生が通うクリスチャンのバーのママ、早世したカメラマン、大阪の寺の長老。少しだけ横顔を見せる人物も妙に印象に残る。年配のバーテンダーとか、風俗関係のスカウトマンとか。
エピソードの中の人物が自らの物語を語り、その来歴から近代史が照らされる。物語は連鎖して増殖し、重層的にからまり、小説の中心がどこにあるのか、わからなくなる。スリリングで芳醇(ほうじゅん)な迷宮感覚が楽しめるのだ。
舞台も移っていく。東京、横浜、大阪、京都、熱海、マニラ、モロッコ。音楽や映画、小説がたびたび引用されたり、下敷きにされたりしている。さまざまな人生の喜びへの誘いにもなっている。
それにしても、女たちは前向きに生き、愛し合い、連帯する。柔軟でしたたかだ。一方、男たちは孤独で、寂しくて、硬直していて、壊れやすい。なるほど、私たちが生きているのはそういう時代だと、読後に思い返していた。
(中央公論新社・1980円)
1945年生まれ。作家。作品に『翔(と)べ麒麟(きりん)』『枯葉の中の青い炎』など多数。
◆もう1冊
辻原登著『冬の旅』(集英社文庫)。平成という時代の別の側面を。