恋愛至上主義に抗う結婚へ向けた“同居”ドキュメント
[レビュアー] 吉田豪(プロ書評家、プロインタビュアー、ライター)
あえて自分から積極的には言わないけれど「男性から女性への性転換者」である能町みね子が、「ゲイでデブ専でフケ専」なゲイライターのサムソン高橋と、「自分の生活と精神を立て直すために」恋愛関係もないまま結婚に向けた同居に挑むドキュメント。本文1行目から「夫(仮)の持ち家に引っ越した日の夜中、私は水状のウンコを漏らした」なのはさすがにさらけ出しすぎだと思うが、「自分なんかどうでもよいと思っているから、私は掃除もしないし料理もしない、荷物一つすら動かさない、不潔さが自分でギリギリ我慢できるレベルで生活をしていた。いや、あれは『生活』とは呼べなかった」「ところが、人が来たら、違う」「日々が『生活』になる」という告白が、ボクにはすごくわかりすぎた。
荷物が増えすぎて自宅に住めなくなり、人が定期的に訪れるため最低限の整理整頓をしている仕事場で寝泊まりする現在49歳独身のボクは、彼女が「結婚」について抱えているモヤモヤも理解できたのである。
「人の言ってる恋愛観や結婚観なんて、まともに信じてはいけないのだ。それがちょっと『常識』から外れていたからといってぬか喜びしてはいけない。聞くだけ無駄なので酒の席での埋め草として消化し、全部忘れたほうがよい。どんどんみんな『常識』に吸い込まれていく。世間の『常識』の強さをなめたらいかん」
それでも彼女は恋愛至上主義的な世の中の常識に抗う。「恋愛はすばらしいものだなんて、恋愛がうまくいった人による美化にすぎない。この世の中、恋愛によってどれだけの人が消えない傷を負い、どれだけむごたらしい事件が起きたと思っているのか。あんなものは向いている人だけが楽しめばいいことである」。
大好きだった雨宮まみが恋愛に翻弄されて人生を終えたことに、彼女は誰よりも腹を立てる。好きという感情は、それぐらい人を普通じゃない状態にするってことなのである。