白百合を山百合と混同!? 草花あふれる作中の“謎”
[レビュアー] 川本三郎(評論家)
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正岡子規の親友といえば夏目漱石。学生時代(現在の東大)、二人は同級生だったことから親しくなった。
ある時、二人は東京郊外、いまの早稲田あたりを散歩していた。
季節は六月。水田には植えられたばかりの稲の苗が気持よく風になびいていた。そこで子規は漱石の無知に驚いた。
「漱石と二人田圃を散歩して」「この時余が驚いた事は、漱石は、我々が平生喰ふ所の米はこの苗の実である事を知らなかつたといふ事である」
随筆『墨汁一滴』(岩波文庫)にそうある。四国の松山出身の子規にとっては当り前のことを、東京育ちの漱石は知らなかった。子規はそのことに驚いた。
一方、漱石は、その後、松山、熊本と地方暮しをするうちに次第に草花に詳しくなっていった。
当然、「草花は我が命なり」というほど花好きの子規の影響もあっただろう。
明治四十二年に発表した『それから』には、稲を知らなかった人間とは思えぬほど花があふれている。
冒頭に出てくる八重の椿をはじめ、桜、アマランス(ハゲイトウ)、君子蘭、鈴蘭……そして『それから』を代表する花と言えば、白百合だろう。高等遊民の単身者、代助の、友人の妻である三千代への報われぬ愛が白い百合の花に込められている。
はじめ、三千代が代助の家を訪ねる時に店で買い求めた「百合の花」を持ってくる。まるで愛情のしるしであるかのように。
代助は三千代のことを百合の花で思い出す。思いがつのったのか、ある時には花屋に行って「大きな白百合の花を沢山買って、それを提げて、宅へ帰った」。
「白百合」に三千代の面影を見ている。
ところで「白百合」とはどういう花なのか。植物学者の塚谷裕一氏は随筆『漱石の白くない白百合』(文藝春秋、一九九三年)で、これは漱石の形状の描写から察すると「山百合」だが、なんと色は白ではなく黄色だと指摘している。