[本の森 SF・ファンタジー]『イヴの末裔たちの明日 松崎有理短編集』松崎有理

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[本の森 SF・ファンタジー]『イヴの末裔たちの明日 松崎有理短編集』松崎有理

[レビュアー] 北村浩子(フリーアナウンサー・ライター)

 数学や科学にまつわるトピックを、ユーモア、ホラー、ファンタジー、さまざまな味付けで物語に組み込む松崎有理。もっともっと読まれていい作家だと思う。五つの作品を収めた『イヴの末裔たちの明日 松崎有理短編集』(東京創元社)は、冒頭に置かれた「未来への脱獄」から一気に引き込まれる。刑務所で出会った男二人がタイムマシン造りに奮闘するのだ。

 一人はAI家電を設計していた技術者、囚人番号538、もう一人は理論物理学者、番号187。二百四十年先の未来からやってきたと主張する187は、少年殺しの罪で服役している。自分が殺した少年の子孫はやがて独裁者になる、少年を殺せば独裁者は生まれない……というのが彼の大義だった。

 タイムマシンの製造を密かに企む187の計画に、538は乗る。いい時間つぶしになると思ったのだ。材料も道具もない中で図面制作に没頭する二人。その計画は新所長の計らいにより思いがけず「公認」となり、紆余曲折を経て十年後に完成する。公開実験の場で187は時計を手にし、五分先の未来へ飛ばすと宣言するが、彼が塔の形のマシンの上部から投げ込んだのは、時計ではなく自分自身だった――。

 187が遺した暗号らしきものの意味。マシン造りの本当の目的。538は十年かけてそれを探る。二十年の刑期を終えて出所する538が浮かべる笑顔の理由がいい。刑務所、企み、友情。スティーヴン・キング原作のあの映画を思い出す読者も多いだろう。

 表題作は、事務職の男性が汎用ロボットに解雇を告げられるところから始まる。ベーシックインカムは給付されるものの、彼の住む「トーキヨー」では生きていくのがやっとの額。「人間にしかできない仕事」がほとんどない世の中で彼が見つけたのは、確率薬理学なる新理論に基づいた新薬の治験ボランティアだった。

 ベイズ確率、ポアソン分布など専門用語で説明される実験薬の効果は、人間の夢を凝縮したようなくじ運、モテ、不死身の三種。薬剤を投与された主人公の人生が好転する予感が徐々に高まる。しかしハートウォーミングな空気感は、ラストで毒と少しの苦さを含んだものに変わる。この苦さは、宝探しと数学予想の証明にそれぞれの人生を費やした男二人の軌跡「ひとを惹きつけてやまないもの」、壊滅寸前の地球から宇宙へ脱出した女子の自己決定の物語「方舟の座席」にも感じられるが、諧謔やときに呑気さのようなものが加味されているのがすばらしい。

 色合いの全く異なる一編、妖怪が村人をみちみちと食っていく容赦のないパニックホラー「まごうかたなき」も含め、人々は皆必死な姿をさらす。直面する現実と欲望とに翻弄される。その人間くささがこの作品集の何よりの魅力だ。

新潮社 小説新潮
2020年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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