野村ID野球を倒すために苦闘した巨人軍スコアラーが伝える「奥深さ」『ザ・スコアラー』

レビュー

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ザ・スコアラー

『ザ・スコアラー』

著者
三井 康浩 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
芸術・生活/体育・スポーツ
ISBN
9784040823362
発売日
2020/02/08
価格
990円(税込)

書籍情報:openBD

野村ID野球を倒すために苦闘した巨人軍スコアラーが伝える「奥深さ」『ザ・スコアラー』

[レビュアー] 菊地高弘(フリーライター)

書評家・作家・専門家が《今月の新刊》をご紹介!
本選びにお役立てください。
(評者:菊地高弘 / フリーライター)

 当然といえば当然のことながら、スポーツを嗜む人は「プレー派」と「ウォッチ派」に分かれる。
 ようは、「やる」か「見る」かの違いである。もったいぶった書き方などしなくても、「やる」のが好きなら、「見る」ことだって好きなんじゃないの? と思う人もいるかもしれない。だが、それは大きな間違いである。
 筆者はアマチュア野球からプロ野球まで、野球界を幅広く取材するライター。つまり、「見る」側の人間である。アマチュア野球の試合中、スタンドにいるとこんな光景を目にすることがある。
 制服を着た丸刈り頭の高校生が、スタンドの一角でひたすら「しりとり」を繰り広げているのだ。

 その野球部員とおぼしき高校生は、おそらく指導者から「試合を見て勉強してこい」とでも言われ、野球場に送り出されたのだろう。だが、その高校生は自分がプレーするのは好きでも、ウォッチすることは苦手のようだ。だから試合そっちのけで、時間を潰すためにしりとりに興じていたのだ。
 こんなことは往々にしてある。ドラフト候補を取材していて「プロ野球は見ますか?」と聞いても、ほとんどの選手は見ていない。彼らにとって興味があるのは自分のプレーであり、他者への関心が薄いのかもしれない。
 だが、見る面白さを知る者からすれば、時にプレー派に対してもどかしさを覚えることがある。彼らは野球を見る面白さ、奥深さを知らないだけなのだ。
 そんなウォッチ派としての目を見開かせてくれるのが、今回紹介する『ザ・スコアラー』という新刊である。

三井康浩『ザ・スコアラー』(角川新書)
三井康浩『ザ・スコアラー』(角川新書)

 著者の三井康浩という人物を知っている人は、よほどの野球マニアだろう。それもそのはず。三井はプロ野球の一軍でヒットを打ったことはおろか、試合に出たことすらないのだ。そんな三井は、国民的人気球団だった読売巨人軍の名スコアラーだった。
 そもそも「スコアラー」という職業にピンとこない人もいるだろう。三井は本のなかで、自分の仕事についてこう記している。

スコアラーは、野球の試合を観察し情報を収集することが主な仕事ですから、マスコミなどからは「隠密」や「007」といった、隠れて目的を果たすスパイのような存在として伝えられます。スコアラーたちが取材を受けることも少なく、声高に「こんなことをしているんだ」と語る場面はあまりないのが実情です。稀にメディアに登場することもありますが、具体的な仕事についてはかなりぼかされています。

 華やかな舞台で喝采を浴びる選手が武将ならば、日陰で情報を集めるスコアラーは忍者のようなもの。長らくその存在は厚いヴェールに覆われていた。しかし、巨人で22年間もスコアラーを務めた三井が、長年封印していた玉手箱を開けてくれたのだ。
 野球史に残る名シーンの裏には、実は三井の暗躍があった。1994年10月8日、シーズン最終戦に勝ったほうが優勝という巨人と中日の直接対決「10.8決戦」。中日の大エース・今中慎二を攻略した陰に、三井が試合前に選手たちに授けた秘策があった。さらに2009年3月23日。WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)決勝の日本対韓国戦。3対3で迎えた延長10回表、2死一、三塁でイチローが打席に入る直前、ベンチでイチローは三井にこう問いかける。

「この打席。僕はなに狙えばいいですか?」

 三井はイチローに、あるアドバイスを送る。数々の裏話に、当時の熱狂を知る者は鳥肌が立つこと請け合いだ。
 三井は他にも、基本的な野球の見方から裏話まで余すところなく記している。たとえば、野球場ごとの特性について述べるなかでこんな大事な情報をさらっと書いている。

札幌ドームは空調の影響で左中間と右中間の打球がよく伸びる傾向がありました。このあたりは球界の関係者なら誰でも知っていることなので、準備において抜け落ちることはありません。

 そんな三井もスコアラーになりたての頃は苦労の連続だったという。原辰徳や篠塚利夫(現・和典)といった主力選手には話を聞いてもらえず、相手チームの先発投手の予想を外しては首脳陣にどやされる。屈辱の日々を過ごすなか、三井は「日本一のスコアラーになる」という決意を固める。

野村ID野球を倒すために苦闘した巨人軍スコアラーが伝える「奥深さ」『ザ・ス...
野村ID野球を倒すために苦闘した巨人軍スコアラーが伝える「奥深さ」『ザ・ス…

 努力を重ねた三井は、長嶋茂雄監督から「三井はいろいろなことを知っているな」と認められ、試合中でも巨人ベンチに入るようになる。長嶋監督から「いまのボールは本当にストライクゾーンに入っているか? どうだ? 三井」と無理難題をふっかけられても、「わかりません」などと答えるわけにはいかない。三井はさらに研究を重ねる。

一人ひとりの捕手の体勢やミットの位置、捕りにいくときの動作などを必死に研究することにしました。それぞれの捕手にも癖や特徴がありますから、何百回、何千回と繰り返し見ていくことで、横の視点からでもどういう球種が投げられていて、どんなコースへのボールなのかの判別がつくようになったのです。

 野村克也監督が「ID野球」を標榜したヤクルトや、山本昌、川上憲伸といった強力な投手陣を擁する中日といったライバルを倒すため、三井はひたすら分析を繰り返す。
 対戦相手を分析するということは、その人間を知ることにつながる。1989年8月12日、巨人対中日戦で三井は天才・落合博満の凄みをまざまざと見せつけられる。9回裏1死までノーヒットノーランと完璧な投球を披露していた巨人のエース・斎藤雅樹に対し、中日の主砲・落合が右中間スタンドに逆転サヨナラ本塁打を叩き込んだのだ。
 三井はこの打席に入るまでの落合を「なぜか引っ張りにかかっていた」と見ていた。だが、最終打席で落合は逆らわずにライト方向へ打ち返している。この一打を三井はこのように振り返っている。

なんの前兆も見せることなく、打ち方、狙い球、または打つ方向を変えてきたということ。つまり、最後の打席への布石を1打席目と2打席目でうまくつくられて、巨人バッテリーはまんまと落合さんの罠にかかったというわけです。

 プロ野球は現在、1球団あたり1年間に143の試合が繰り広げられる。セ・パ交流戦はあるものの、基本的には同一リーグに所属する5チームと繰り返し対戦する。何度も対戦するなかで駆け引きが生まれ、そこに人間味が浮かび上がってくる。スコアラーの視点は、野球選手を深く知ることにつながっていくのだ。
 もし、あなたに好きなプロ野球選手がいるなら、ぜひこの本を読んでみてほしい。ここには、好きな選手を深く知るためのヒントがふんだんに詰まっている。
 そして私も、野球場のスタンドで所在なげにしりとりをしている野球部員を見かけたら、そっとこの本を差し出してみようと思っている。
(文中敬称略)

▼三井康浩『ザ・スコアラー』の詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321906000883/

KADOKAWA カドブン
2020年2月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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