『羽生結弦を生んだ男 都築章一郎の道程』
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<東北の本棚>高み目指し挑戦の日々
[レビュアー] 河北新報
「挑戦しなさい」「芸術家になりなさい」。そうした薫陶が、美しさと不屈の精神力を兼ね備える絶対王者の骨格になったと納得する。
フィギュアスケートで五輪2連覇を果たした羽生結弦(ANA、宮城・東北高出)を小学校から高校にかけて指導し、横浜市内で現役コーチを続ける都築章一郎氏(82)。旧ソ連に範を求め、高みを目指した名伯楽の挑戦の日々を記録した。そうそうたるロシア指導者への現地インタビューも興味深い内容だ。
学生時代に指導を始めた都築氏。「絶対に世界一の選手を育てる」と、少年佐野稔を見いだし、陸上練習など「異端の」指導法を築いていく。その目は、バレエの文化が息づき、国家の威信をかけて「ステートアマ」と呼ばれるエリートを育成する当時のソ連に向いた。
ソ連遠征で惨敗を喫したものの、1977年の世界選手権で、佐野はついにフィギュア日本人初のメダリスト(銅)に輝く。都築氏はその後、私財を投じてソ連のトップコーチを定期的に招請し、競技力の底上げに力を尽くした。
拠点の千葉県松戸市のリンクには教え子の長久保裕氏らが集った。長久保氏は後に仙台市で、世界選手権銅メダルの本田武史(東北高出)、アジア初の五輪フィギュア金メダリストの荒川静香(東北高-早大出)らを育てる。「長い一つの物語」は最終章で羽生へと紡がれる。
仙台市のリンクで、都築氏は小学2年の羽生に非凡さを見た。4回転を見据えたジャンプ練習、ロシアの芸術性を取り入れた表現力の習得など、完全無欠のスケーターへの土台を築いた。
東日本大震災後、都築氏は、傷ついた古里の姿を目の当たりにした羽生が、スケートをやめることを最も心配したという。少しずつ心身が回復していく中で、「仙台が、結弦を支えていた。心の中で深く絆を結んでいた」と振り返る。
著者は神奈川県在住の作家で、幅広いジャンルのノンフィクションやエッセーを執筆する。
集英社03(3230)6080=858円。