東京五輪を控える今こそ日本「現代スポーツ」父の信念
[レビュアー] 山内宏泰(ライター)
この痛快な読み味ときたら!
五木寛之の代表作『青春の門』の読後感にどこか近しいものがある。五木作品が純然たるフィクションなのに対し、本書は伝記小説でありモデルがいる。こんな傑物が実在したのかと、その事実にまずは驚いてしまう。
一編の主人公は岡部平太という。スポーツ界に身を投じた人物だが、知名度は高くない。競技者としてメダリストになったり、偉大な記録を残したわけでもないのでそれは致し方ない。では彼は何を成したのか? 科学に基づく現代的なトレーニングやコーチングの思想を、日本に初めて持ち込んだのである。
岡部は福岡県糸島半島出身で、一八九一年の生まれ。昨年のNHK大河ドラマ「いだてん」で注目された日本人初のオリンピック選手、金栗四三と同い年だ。
若くして柔道を志し、講道館柔道創始者・嘉納治五郎のもとで修練を積んだ。すぐに頭角を現し、あまりの強さから「天狗」と畏れられた。嘉納に目をかけられた岡部は、柔道普及の命を負って米国へ留学することに。
種目を問わずスポーツ万能だったゆえ、現地では臆することなくアメフトチームなどに参加。最新のスポーツ理論や技術を大いに吸収し、日本へ持ち帰って実践に励んだ。戦後の一九五一年には、ボストンマラソンに臨む日本チームの監督に就任。田中茂樹選手を日本人初の国際大会優勝へと導いた。
他にも、戦前に渡った満州で満州体育協会を設立したり、柔道に体重別制を導入して国際競技化を推進したり。一九四八年には地元・福岡に国体を誘致した。GHQが接収していた土地を「ここをスポーツのピースヒル、平和の丘にしたいんだ」と説得、メイン会場となる平和台競技場を短期間で築き上げた。
GHQと直談判した逸話からも分かる通り、岡部平太は作中、胸のすく快男児として描き出される。子どもの頃から「悪僧坊主」(腕白の意)で、曲がったことが大嫌い。権威権力に媚びることなく、口癖の「どげんかなる! どげんかする!」を唱えて我が道を邁進する人生だった。
彼のベースにあったのは「スポーツは、勝たねばならない」との信念である。勝利を目指し全身全霊を傾ければこそ、スポーツは競技者・観戦者双方に感動をもたらし、人格形成や成長にも寄与すると考えた。
なるほど確かに本書で岡部の生涯を辿っていると、人の世にスポーツが存在する意味と意義を再考させられる。夏に東京五輪を控える今こそが、これを読むのに最適な時期ではないか。