文体から立ちのぼる異様な冷気 戦国の世を生きた父子の愛情物語
[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)
かつてはNHKの大河ドラマがはじまると、安易な便乗作品が次々と刊行されたものだった。しかしながら、今年は、そんな代物は一篇もない。これから扱う『桔梗の旗 明智光秀と光慶』もなかなかの力作で、構成の巧みさ、人物描写の的確さなど、どれを取っても見事というしかない。
副題にある“光慶”とは、光秀の嫡男、“十五郎光慶”のこと。物語の前半は、この十五郎を通して、そして後半は、光秀の娘婿左馬助を通して、光秀の姿が描かれていく。
ここで断っておくと、本書はあたかも一篇のミステリの如く、前半と後半でガラリと趣を異にする。すなわち、前半、十五郎が疑念を抱くほどの父の言動は、後半、左馬助の述懐によって、その真意が明らかにされていく―従って、この一巻のいちばんの肝の部分は明かすことができない。しかしながら、本書のすばらしさは、私が断言するので、信じていただくしかない。
さて、その前半だが、読者は読みはじめるや、文体から立ちのぼってくる一種異様な冷気とでもいうべきものに違和感をおぼえるだろう。それは主に光秀の十五郎に対するもので、一人前の武士としての扱いどころか、信長の前で行われる馬揃えからも結果的にはずされ、光秀とのあいだに起こる様々な確執は十五郎をして、
「父上には、人の心がないのですか」
と言わしめる。
そして、遂に起こる本能寺の変――。
前述のとおり、後半になると、左馬助によって、それらのことどもの真相が明かされ、前半の凍りつくような印象が一変する。「父上には、人の心がないのですか」という息子のことばを父はどう聞いたのか。
戦国の世を生き、死んでいった父子のギリギリのところで描かれる愛情の物語である。