現実のタブーを秘めた〈自殺幇助/安楽死〉事件。その圧巻のラストとは!?『眠りの神』

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眠りの神 = HYPNOS

『眠りの神 = HYPNOS』

著者
犬塚, 理人, 1974-
出版社
KADOKAWA
ISBN
9784041089057
価格
1,870円(税込)

書籍情報:openBD

現実のタブーを秘めた〈自殺幇助/安楽死〉事件。その圧巻のラストとは!?『眠りの神』

[レビュアー] 三浦天紗子(ライター、ブックカウンセラー)

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(評者:三浦 天紗子 / ライター)

 二〇一九年にNHKで放映された、スイスでの安楽死を選んだ日本人女性のドキュメンタリーは大きな反響を呼んだようだ。ジャーナリストの宮下洋一がNHKスタッフとともにその死の瞬間に立ち会い、まとめた本もあり、私個人の興味もあって出版直後に読んでいる。本書は、そんな安楽死をめぐる問題を射貫き、死生観を問う骨太なミステリーだ。

 作中でも触れられているように、安楽死の是か非かをめぐっては、法的な規制を免れているスイスでさえ議論が続いている。実際、望めば誰もができるものではなく、治療法のない病気にかかっていることや耐えがたい苦痛があることなど、厳格な条件をクリアして初めて可能になる。だが、生命倫理や福祉の考え方の違いもあって、日本では実現は難しいのではないかという専門家は多く、検討の俎上にさえ載せていない状況だ。安楽死を合法化している国はオランダやベルギーなどいくつかあるが、外国人の希望も受け入れているのはスイスだけ。そのため、近年スイスでは、安楽死が認められていない国からの依頼者も増えている。現実とも重なるタブーを秘めた〈自殺幇助/安楽死〉事件が物語を牽引する。

 主人公の絵里香・シュタイナーはスイス人と日本人のハーフで、スイス育ちの医師。医療的な方法で自殺幇助を行うボランティア団体のひとつ〈ヒュプノス〉のメンバーでもある。ある日、モンゴロイド型筋ジストロフィーという難病に冒された日本人男性、夏目英司からの依頼がヒュプノスに舞い込み、依頼者の病状や状況確認のため、絵里香は日本へ飛ぶ。絵里香には、日本滞在中にさらなるミッションがあった。そのころ東京では連続して違法な自殺幇助/安楽死殺人が起きていた。被害者たちはヒュプノスの元依頼人で、安楽死を断られていたという共通点がある。その事件に、ある末期癌患者の申入れを営利目的で独断で決行したと疑われ、団体を辞めさせられていた元スタッフの神永が関わっているのではないかとの疑惑が浮かぶ。絵里香は、神永の行方を捜しながら、依頼者リストに載っていた日本人へ、安易な自殺幇助の申し出に乗らないよう注意喚起するために動く。

 リストに名前のあった、若年性アルツハイマーを患う曾根加奈子を訪ねたとき、絵里香は、すでに〈ミトリ〉と名乗る男性が加奈子に接触していたことを知る。一連の事件を起こしているのは、ミトリなのだろうか。ミトリは神永なのだろうか。実は、絵里香は調査を進めるうちに、神永のよからぬ噂をもう一つ耳にしていた。神永はかつて女性医師と不倫関係にあり、その女性が自殺を試みたとき、救命措置を取らずに見殺しにしたというのだ。医師でありながら、人命を軽視するかのように見える神永という存在につかまれ、絵里香は隠された真相に迫っていく。

 意外な人物同士の接点が見えてくる中盤以降は、どんでん返しの連続。また、物語の合間にはさまれている、犯人の日記と思しき告白文は読者にだけわかる秘密だが、その文体はやや拙く、怜悧な安楽死殺人犯のそれとはうまく重ならない。この違和感が、真犯人とともに解き明かされるラストは圧巻だ。

犬塚理人『眠りの神』
犬塚理人『眠りの神』

 だが、本書の美点は、そうした展開の面白さだけにとどまらない。事件の調査を通して、絵里香の気持ちも幾度も揺れる。たとえば、絵里香はヒュプノスの方針である「倫理的な観点から精神疾患者への自殺幇助を行わない」ことに賛成していたが、結局自死を選ぶほど苦しんでいる患者に、杓子定規に却下することは本当に正しいのだろうか。個人の意志が尊重されているヨーロッパでは、たとえ家族が同意しなくても安楽死の決定は依頼人の意志が優先されるが、遺された者の思いを無視していいものなのか。読者もまた彼女の心情に感応し、「命の権利は誰にあるのか」「進歩した緩和治療も選択できるいま、安楽死は本当に最良の選択なのか」と命の問題を考えざるを得なくなるのだ。

 著者の犬塚理人は、横溝正史ミステリ大賞優秀賞受賞作『人間狩り』でデビュー。二十年前の女児惨殺事件の犯行動画が、特定の手段によってのみアクセスできるダークウェブサイトで売買されている事件を追う警察と、世の不正義に義憤を持つネット自警団の変質を通し、SNS時代の正義とそれが諸刃の剣になる危うさを活写した。リーダビリティーを重んじながら、正義や真理を問いかけたいという意思が見え隠れする作風に、ハマる人は多いはず。

▼犬塚理人『眠りの神』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321908000104/

KADOKAWA カドブン
2020年3月3日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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