職人気質の男を描いた 逝ける作家を偲ぶ
[レビュアー] 北上次郎(文芸評論家)
【前回の文庫双六】熱き文体が疾走する痛快アナキストの評伝――梯久美子
https://www.bookbang.jp/review/article/609846
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伊藤野枝との共同生活を始めた大杉栄が、国際アナキスト大会に出席するために日本を脱出したのは1922年。翌年1月には上海からフランスに渡るも結局は強制退去。その間のいきさつを描いたのが『日本脱出記』だが、永井荷風、島崎藤村を始め、フランスに渡った日本の作家は多い。伊藤野枝の前の夫・辻潤も野枝との間に生まれた長男を連れて渡仏している。
渡仏の事情は人それぞれだが、藤田宜永がフランスに渡ったのは1973年。80年に帰国して作家となるが、思い出深いのが恋愛小説に転じたあとに書かれた『愛の領分』だ。
ずっと以前、藤田宜永の恋愛小説に出てくる男たちが、花材職人、中央競馬の装蹄師、洋服の仕立て職人、義肢装具士など、職人気質の職業であることを指摘したことがある。例外もあるが、そういうケースが多い。
そのとき、藤田宜永の恋愛小説は「裏返しの伝統工芸ヒロイン小説だ」と書いた。それを少しだけ説明する。芝木好子『群青の湖』や、高橋治『星の衣』などに見られるように、女性を主人公にする日本の恋愛小説では、ヒロインたちが染色、織物、陶芸など、伝統工芸に従事することが多かった。それを「伝統工芸ヒロインもの」という。もちろんすべてがそうではないのだが、それが王道として日本の恋愛小説の真ん中に存在したことも事実なのである。
恋愛小説に転じたとき、藤田宜永はそれを意識したのではないか、というのが私の仮説であった。恋愛小説の男たちに職人気質の職業を与える意味はこの道筋で理解される。
そう考えた直後、パーティで会った藤田宜永にその話をすると、「そんなこと、考えたこともなかった。職業が偏ったのは偶然だよ」と彼は言った。えっ、偶然なのかよ。いまそのことを懐かしく思い出す。
直木賞を受賞した『愛の領分』を繙いて、藤田宜永を偲びたい。