「単位さえ取れりゃ、ミクロ経済学なんてどーだっていいんだよ」とならないために――『ミクロ経済学って大体こんな感じです』を刊行して

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ミクロ経済学って大体こんな感じです

『ミクロ経済学って大体こんな感じです』

著者
竹内 健蔵 [著]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/経済・財政・統計
ISBN
9784641165557
発売日
2019/12/09
価格
2,640円(税込)

書籍情報:openBD

「単位さえ取れりゃ、ミクロ経済学なんてどーだっていいんだよ」とならないために――『ミクロ経済学って大体こんな感じです』を刊行して

[レビュアー] 竹内健蔵(東京女子大学現代教養学部国際社会学科経済学専攻教授)

 本書のタイトルをご覧になって、経済学理論の専門家、研究者の皆さんの中にはかなりの違和感、それどころか憤りすら感じる方々がおられるのではないだろうか。「厳密なミクロ経済学の理論体系をこんないい加減な軽い言葉で初心者に教えるのか!」と。
 しかし不幸にして、実際には厳密な経済学の理論体系どころか、「大体こんな感じ」すらつかめずに経済学部や経済学科を卒業して社会に出て行く学生が多い。「日本の大学は入るのは難しいが出るのは易しい」とよく言われる。トコロテン式に学生を送り出すのが普通であり、大量の留年者を出すことを好ましくないとする日本の大学であれば、学生の多くが苦労して難解な経済学理論をわかろうと努力する意欲を持ちにくい。学生は経済学的に極めて合理的である。一定の単位取得制約の下での効用の最大化(楽したい)、あるいは費用の最小化(面倒なことはしたくない)である。
 高校の「政治・経済」の科目の内容と、ミクロ・マクロ経済学の内容はかなり違う。それは別物と言ってもいいくらいである。他国と違って高校の段階で本格的に経済学を学ぶことの少ない大学受験生は、経済学がどんなものかというイメージを持たずに、「文系だから数学はいらないし、何となく就職に有利そうだし、それにお金のことがわかるらしい」という理由で経済学部を志望することがよくある。そして、経済学はどんなものであろうが、とにかく単位を取って大卒の資格を取り、希望の企業に就職すればそれでよいのだ、とする学生が少なからずいる。
 本書で言及していることでもあるが、ゼミなどで私は次のような議論を学生にふっかける(ここでいう「ゼミ」とは、私の大学では2年次演習が該当する)。
 「ミクロ経済学の本では『消費者は、価格が限界効用と一致するように消費量を決める』なんて書いてあるけれど、みんなそんなこと考えてモノを買ってるの? 限界効用っていくらなの? そんなありもしないこと考えているミクロ経済学っておかしくないかい? そんな非現実的なものを勉強しているの?」
 「完全競争市場はこの世には存在しないのに、なぜそんなことを扱っているミクロ経済学を勉強しているんだろう。高い授業料を払って定期試験の試験勉強で苦労してやっていることといえば、この世に存在しないことなわけ? そんなことやって意味あるの?」
などと私は挑発を繰り返す。しかし、多くの学生は下を向いて黙っているばかりである。私は何とか反応して欲しくて必死なのである。たまに私のこのひどい挑発を受けて、一矢報いようと果敢に自分のロジックで答えようとする素晴らしい学生も何人かいるのだが(こうした学生はたいていミクロ経済学の面白さがわかり始めている)、残念ながら例外に過ぎない。「こんなことなら別の役に立つ勉強すりゃよかったね」などと私の挑発は止まらない。しかし、とにかく単位が取れさえすればよい学生の場合は、疑問を感じていてもそれは卒業には関係のないことなので、私の挑発を黙ってかわして、とにかくこの時間が過ぎ去るのを待っている。これはとても悔しい。経済学の面白さを知り、それにハマった人間としてはどうしてもその面白さを伝えたいのだけれども、それが自らの未熟さゆえにままならない。
 (学生から見れば)そんなミクロ経済学でも、公務員などの資格試験を受ける場合には勉強しなくてはならない。公務員になるためには与えられた問題を解くことが必要となる。だから、ミクロ経済学がどのような論理体系を持ち、それがどのように政策を評価し、そうした一連の思考が現実社会の分析にどのように役に立つかなどがわかったところで公務員試験には直接役立たない。それよりも目の前の問題の空白をとにかく正しく埋めるということが最大の目的であり、ひたすら解答を求める作業とその正答率を上げる技術だけに努力が傾注される。実際には、ミクロ経済学がどんなものかという体系的な理解をしておく方が結果的には効率的な勉強ができ、問題もよく解けるというものなのだが、時間の惜しい受験生にはそんな悠長なことをいっているヒマはない。そうなると、とどのつまりミクロ経済学は公務員になるための、あるいは資格取得のための苦痛な作業でしかない。
 こうした状況だから、ミクロ経済学の厳密で正確で頑健な理論の理解を体系的に学ぶべきだと学生に説いたところで、それはなかなか理解してもらえない。高校卒業まで物事をあまりじっくり考えたことがない(考えるヒマがない)、論理的な思考をしたことがあまりない(特にそんなことをする必要がなかった)学生が現実にある程度存在する以上、ミクロ経済学を教える側が変わらなくては仕方ない。
 これだとなんだか「今の学生はバカばかり」という一方的なパワハラ発言にも聞こえるが、それは誤解である。優秀な学生がまだまだいることはもちろん否定しない。偏差値で輪切りにされたそれぞれの大学の中にキラリと光る素晴らしい学生がいることは、私の在籍する大学だけではなく、どの大学でも当てはまる。しかし、それは少数派であるというのが残念ながら現実であり、その現実は受け入れなくてはならない。だからといって、多数派の学生に対して「勉強しないヤツが悪い!」などと攻撃を仕掛ける気も私には毛頭ない。ミクロ経済学を小手先でかわして理論体系を理解しようとしないのは、学生にその全ての責任があるのではなく、現在の教育環境、社会環境に適合した合理的な学生の選択なのだということを忘れてはならない。そうした学生の合理的な行動を制約条件として、大学教員がその制約条件の下で最適な行動をしなくてはならない、つまり、教える側が変わらなくてはならないのだ、ということになる。
 誰に責任があるにせよ、現在の学生にはどっしりと腰を据えて、あることを徹底的に論理的に考える力がそれほどないという事実を大学教員は所与としなくてはならない。決して論理的思考力が全くないと言っているわけではないけれども、論理的に物事を考える容量がそれほど大きくないのだから、その容量が一杯になるまでにミクロ経済学の基本的な考え方を身につけさせなくてはならない。アタマでいろいろ考えて、だんだん容量が一杯になってきて「あー、わかんねー」「あー、つまんねー」と本書を宙に放り上げるまでの時間が勝負である。そのときまでにミクロ経済学が大体どんなものであり、どのように役に立つのかを叩き込まなくてはならない。ミクロ経済学理論の詳細などはその後である。本書の第1部はそのようなつもりで書かれている。
 とにかく、ミクロ経済学とはどのようなものか知ってもらいたい。こんな考え方があって、この考え方を使うと社会のいろいろなことが分析できる。この考え方を使うといかに世間の考え方がおかしいかがわかる。社会が違って見えてくる。それをわかって欲しいという願いが本書には込められている。それさえ実現できるのならば、極論すれば、ミクロ経済学の試験で出てくる経済学用語などどうでもよいのである。
 だから、本書のタイトルは「ミクロ経済学って大体こんな感じです」なのである。バイト、サークル活動、就職活動で忙しい大学生に、ミクロ経済学理論の厳密で正確な理解を頭から求めることは難しい。本書を読んだ後で、限界効用なんて言葉も、限界費用なんて言葉も一切忘れてもらって構わない。ただ、少なくともミクロ経済学がどんなもので、どのようにして社会問題を解決していくようなものなのかだけでもつかんでもらえれば、それで十分だと筆者は考えている。少なくとも、代替財は「コーヒーと紅茶」、補完財は「パンとバター」ということを学んだ、ということだけで終わってしまうよりは、その方がよほどマシだというものである。
 そういう意味で、本書では枝葉末節を排除しているのみならず、なるべく混乱を招かないように、新しいミクロ経済学の潮流さえ捨象している。いわば本書は「元祖新古典派経済学準拠」である。だから、現在の経済学理論では必須となっているゲーム理論にも、いま流行(あくまで世間で注目されているという意味で)の行動経済学にも触れていない。これから本書が流通するようになってから、ネット上の書籍レビュー欄には「古くさい」、「オールドエコノミクス」、「最新の経済学理論を無視」、「今の経済学では時代遅れ」などという言葉が続々と並べ立てられることが目に浮かぶようである。しかし、そうした批判はもとより承知の上である。
 ゲーム理論(出自が異なるところもあるが)も行動経済学も、ミクロ経済学の伝統的な理論とその考え方の上にそれを批判することで成り立っている。新古典派理論の考え方をしっかり身につけないで流行を追いかけても根無し草になるだけだろう。ミクロ経済学の伝統的理論の発想や考え方を知った上で、ゲーム理論や行動経済学を学べば、それは本物になる。だから、先端の経済学理論を本書に取り込むことについては止めることにした。今後、その道の専門の方々が「ゲーム理論って大体こんな感じです」、「行動経済学って大体こんな感じです」という本を執筆していただければ、それでよいのである。
 本書にも書いてあるとおり、私はミクロ経済学理論を専門とする者ではない。亜流というか応用経済学を専門とする者である。こうした奇抜なタイトルといい加減な内容は、ミクロ経済学理論の王道を歩む研究者にはかえって書けなかったのではなかろうか、という妙な自負がある。ミクロ経済学理論の専門家の方々にはお腹立ちの点も多々あろうかと思うけれども、この世の大半の大学生がミクロ経済学の理論家になるわけではないという現状を鑑みるとき、せめて「ミクロ経済学って大体こんな感じ」程度だけでもわかってもらって、学生たちには世の中に出ていってもらいたいものだと思っている。
(※なお、本稿でいう「学生」とは、広く経済学部や経済学科に所属する大学生全般を指すものであり、一部を除いて筆者の勤務先の大学生に限定されるものではないことをおことわりしておく。)

有斐閣 書斎の窓
2020年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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