『実証のための計量時系列分析』の翻訳を終えて

対談・鼎談

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実証のための計量時系列分析

『実証のための計量時系列分析』

著者
ウォルター ・エンダース(Walter [著]/新谷 元嗣 [訳]/藪 友良 [訳]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/経済・財政・統計
ISBN
9784641165489
発売日
2019/12/12
価格
5,170円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『実証のための計量時系列分析』の翻訳を終えて

[文] 有斐閣

『実証のための計量時系列分析』刊行によせて、訳者の新谷元嗣・東京大学大学院経済学研究科教授と、藪友良・慶應義塾大学商学部教授に本書の魅力をお話しいただきました。

本書について

藪 時系列分析に馴染みのない方もいらっしゃるかもしれませんので、はじめに本書が扱う時系列分析とは何かというところから説明いたしますと、文字通り、時間を通じて記録されたデータ、いわゆる時系列データを分析するために開発された計量手法を扱う学問分野です。時系列データには系列相関や構造変化など特有の現象があり、そうした現象を説明するため、多くのモデルが開発されてきました。

新谷 時系列分析の手法は時系列データからみた現実の把握に欠かせない知識です。経済分野だけでなく、政治学、環境学など幅広い分野にも応用され、例えば、地球温暖化現象がどの程度進んでいるのかの評価にも用いられています。

藪 本書の著者であるウォルター・エンダースは、ノーベル経済学賞を受賞したクライブ・グレンジャーとエンダース=グレンジャー検定を開発したことで知られる計量経済学者です。彼は計量理論だけでなく、景気変動、国際金融、テロリズムなどの実証分析への貢献でも知られています。

新谷 エンダースが実証分析に強みのある学者ということもあり、本書はデータをどのモデルで分析するか、その際の注意点など、分析者の視点から理解できるよう構成されています。
 1995年に初版が出版されて以降、学生、研究者、実務家など、実証分析に関心のある人々の間で幅広い支持を得てきた息の長い教科書です。全米統計学会の会報でも、書評担当者が選ぶ書籍のベスト5に入ったこともあります。これまで2004年、2010年、2014年と3回も改訂を経ており、今回、我々が翻訳したのは最新版の第4版になっています。
 とくに第2版からは近年、急速に広まった手法でもある非線形モデルと構造変化の解説(第7章)が新たに加筆されていて、現時点でも実務と研究で一般的に用いられる基本的な手法がほぼ全て本書1冊で理解できるといって良いと思います。

藪 たしかに、本書はロングセラーです。本書以外にも、海外で有名な時系列分析の本に、ハミルトンの『時系列解析』(訳:沖本竜義、井上智夫、シーエーピー出版)がありますが、こちらは理論に焦点があてられている印象があります。また、ハミルトンの本は1994年以降改訂されていませんが、エンダースの本書は何度も改訂されており、最新の手法までカバーされているのが良いですね。

新谷 藪さんと本書の出会いはいかがでしたか?

藪 私が本書に出会ったのは1998年、一橋大学の修士課程の院生だったときです。当時、実証論文を読むのに時系列分析の知識が不可欠でしたが、ハミルトンの『時系列解析』は難解で、しかし、他に手頃な本もなかったのでとても困っていました。そんなとき、同期の友人から薦められたのが、本書の第1版でした。説明がとても直観的で理解しやすく、実証分析の事例も豊富で、すいすい読み進められました。レベルが低いかというとそうではなく、本書を読んだ後は実証分析の論文が十分に理解できるようになり、おかげで修士論文を無事書き上げることができました。新谷さんの本書との出会いはいかがでしたか?

新谷 私が本書に出会ったのは2000年、米国南部にあるヴァンダービルト大学に助教授として着任したときです。同僚から、「この本は学生からの評判がとても良いよ」と推薦されました。たしかに分かりやすく、分析者の視点から書かれており、私も時系列分析の授業の教科書として採用しました。そういえば、藪さん、この本は共同研究でも役に立ちましたよね。

藪 そうでしたね。為替レートと輸入物価との非線形的関係を分析したとき、エンダースの第7章が、非線形時系列の全体像を掴むのに役に立ちました。この本は分かりやすいですが、高いレベルまでカバーしており、まさに良書だと思います。

翻訳を決めた理由

新谷 もともと計量経済学は時系列分析を中心に発展してきたこともあり、これまで膨大な知見が蓄積されてきています。しかし、その知見が日本の教育や実務の現場で十分に生かされていないように感じていました。数学的な難しさが初学者の理解を阻んでいるという事情もあると思います。そんなことを考えていた折に、同じ米国南部にあるアラバマ大学の研究会報告後に立ち寄ったエンダースのオフィスで、彼が「日本語での翻訳がないことを残念に思っている」と言ってきたわけです。「それなら私がやってみましょうか」というような話になりましたが、一人では心許ないので、日本にいる共同研究者の藪さんに相談することにしました。

藪 私としては、先ほど申し上げた通り、本書にお世話になってはおりましたが、まさか自分が翻訳するとは思っていませんでした。しかも、翻訳は良くて当然で、良くてもすべて著者の手柄、翻訳が良くないと訳者が責められる、そんな仕事が自分にできるだろうかという気持ちがあり、プロジェクトを持ち掛けられた2011年当時は翻訳に腰が引けていたのを覚えています。仕事を引き受けるか悩んでいると、新谷さんから「自分は日本に育ててもらったけれど、海外の大学で職に就いている。東日本大震災で大変な時期ということもあり、本書の翻訳を通して日本に少しでも恩返しできればと考えている」と言われ、それならばと翻訳を引き受けました。

新谷 よく覚えていますね。私そんなこと言いましたか。

藪 新谷さんが珍しく熱い言葉を言われたので、なかなか忘れませんよ(笑)。翻訳は大変でしたが、良い本ができあがったので、この仕事をやってよかったと思っています。

新谷 プロジェクトがスタートしたのは2011年の夏でしたが、原著の第3版をじっくり翻訳していたら、先に第4版が出版されることになったり、私の東京大学への移籍で帰国することになったりした事情もあり、結局、翻訳書の出版までに8年もかかってしまいました。

苦労したこと

藪 私の方で苦労したことは2点ありました。1つ目は、500頁ほどある原著を全訳すると約700頁と辞書のようになり、誰にも手にとってもらえないものになってしまう。そこで、原著から重要ではないと思われる内容をカットし、さらに表現を簡潔にし、日本語でも約500頁に収まるようにした点です。2つ目は、本書は修士学生向けですが、学部3、4年生でも理解できるようにしたかったので、難しい部分に途中式を加えたり、新たな例や説明を追加したりした点でしょうか。

新谷 そうですね。私もよく知らなかったのですが、翻訳の世界では、英語を和訳すると分量が増えるのが常識なんですね。日本語は漢字があるのでフォントが大きくなりますし、文字の間隔も開けないと読みにくいので、本の分量は自然と増えてしまいます。あまりぶ厚い本になると最後まで読んでもらえないかもしれない。ただし、分量を減らすと、本書のわかりやすさが失われる可能性もあります。試行錯誤を重ねて、日本の読者の関心の高いトピックを選んだり、表現を簡潔にしたりして工夫しました。この過程で、テロリズムの分析例等は割愛することになりました。

藪 最終的には、わかりやすさを犠牲にせずに、分量を減らすことができたと思います。本書を読まれた後、原著を手にとって比較してみると面白いかもしれません。

本書の使い方

新谷 本書は、計量経済学の基礎知識を前提にしていますが、学部3、4年生でも、統計学や計量経済学の授業を履修した学生であれば、本書で独学できるようにしました。また、本書のウェブサポートページを作成し、練習問題の模範解答だけでなく、実証分析のデータも掲載しています。練習問題は理解を深めるために重要ですから、模範解答は日本語に翻訳しただけでなく、数式の導出を詳細にしたり、説明を追加したりもしています。時系列分析を理解するには、実際に問題を解いたり、データを分析したりすることが欠かせません。ぜひ読者には練習問題にチャレンジしてほしいと思います。

藪 こんな本が学生時代にあったらよかったという気持ちです。エンダースは、もともとRATSという統計ソフトを重視していて、『RATSによる経済時系列分析入門』(訳:徳永澄憲、シーエーピー出版)というマニュアルまで執筆しています。統計ソフトはたくさんありますが、現在、日本の官公庁ではEViwsという統計ソフトが用いられています。そこで、わたしたちは、新たにEViwsを用いて、教科書の結果を再現できるマニュアルも作成し、ウェブサポートページに掲載しています。また近年では、Rという統計ソフトも広く使われていますので、こちらのコードもウェブサポートページから利用できるようにしています。

新谷 時系列分析の授業であれば、学生に自分で第1章(差分方程式)を読んでもらって、教員は第1章のエッセンスを簡単に説明すれば良いと思います。第2章(定常時系列モデル)は基礎となる内容ですから、きちんと説明したほうがよいかもしれません。第3章以降は、別々のトピックになっていますから、学生の関心に応じて、トピックを選んで行けばよいでしょう。ただし、第6章(共和分と誤差修正モデル)は、第4章(トレンド)と第5章(多変量時系列モデル)の知識が必要ですし、第7章(非線形モデルと構造変化)は第4章の知識が必要となります。

藪 マクロ経済学に関心があるなら、第1章を理解することが重要だと思います。また、第2章と第5章の知識も不可欠でしょう。これらを読むことで、マクロ経済学の理論、実証分析の理解が深まるはずです。この本を通じて、時系列分析の知見が幅広く利用されるとよいですね。

新谷 本書は痒いところに手が届くように、よく考えて構成されていると思います。通読してみて時系列分析を理解できた、好きになったという読者が増えてくれることを期待しています。

(2019年12月7日収録)

有斐閣 書斎の窓
2020年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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