悩み多き生き物だけれど

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炎より熱く

『炎より熱く』

著者
矢口 敦子 [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784087440720
発売日
2020/01/17
価格
792円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

悩み多き生き物だけれど

[レビュアー] 青木千恵(フリーライター・書評家)

 二〇一九年一月に刊行された『海より深く』の続編である。前作で大学四年生だった主人公の佐藤真志歩(ましほ)は、社会人になっている。吾川市立病院で医療秘書をしているが、三年で雇用打ち切りの契約職員で、祖父の家賃援助がなくては暮らせない。自立を宣言して東京に留まったものの安定とは程遠い。〈なにをしていいのか、なにになりたいのか、これっぽっちも見えなくて〉。季節は六月、真志歩の心は梅雨空のように晴れずにいる。
 そんな中、刑事の瀬戸遼平が病院に現れ、真志歩はある患者に近づくことになる。二十四歳の和田多真美(たまみ)は半年間に四回も怪我を繰り返して整形外科に入院中で、保険会社から問題視されていた。和田の病室に向かった真志歩は、見舞いに来ていた小塚信之介と出会う――。
 主人公の前に謎が置かれ、あとはもう手練の筆致で“炎より熱い世界”へとぐいぐい引き込まれる。小塚が営む雑貨店を訪ねる一方、真志歩は友人の柚木(ゆずき)美咲からセクハラ被害を打ち明けられる。料理の勉強を始めた美咲は、尊敬していた七十代の有名料理家に襲われ、難を逃れたが心に傷を負う。真志歩も美咲も二十二歳。女性たちの前には複雑な世の中が広がっていて、それぞれの悩みや家族の葛藤が描かれる。セクハラに絡めて女性差別がクローズアップされるが、著者の視野は広くて偏りがなく、「人間すべて」をストーリーで見つめていく点が本書の読みどころだ。製薬会社に就職した義理の叔父、前島裕貴(ゆうき)も、希望と違う研究で不満げな様子。真志歩の母親が祖父と再婚した裕貴の母を嫌うため、真志歩と裕貴の距離は遠のきつつある。
 主人公の名前に、著者の「人」に対する思いを感じる。真っすぐに志して歩んでほしい。また、タイトルからしてミステリアスだ。海より深い、に続いて、炎より熱いものとはなんだろうか。ストーリーを通して分かってくる。
 手に余るほど奥深い感情を抱える生き物は、人間だけである。だからこその希望をスリリングに問いかける。主要人物があらためて登場し、推進力を増してシリーズが動いている。本作から読んでも大丈夫だが前作もあわせて読んでもらいたい、優れた長編ミステリーだ。

青木千恵
あおき・ちえ●フリーライター、書評家

青春と読書
2020年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社

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