落語とは業(ごう)の肯定。人間のどうしようもなさからビジネスを学ぶ

レビュー

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ビジネスエリートがなぜか身につけている教養としての落語

『ビジネスエリートがなぜか身につけている教養としての落語』

著者
立川談慶 [著]
出版社
サンマーク出版
ジャンル
社会科学/社会科学総記
ISBN
9784763138071
発売日
2020/01/08
価格
1,540円(税込)

書籍情報:openBD

落語とは業(ごう)の肯定。人間のどうしようもなさからビジネスを学ぶ

[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)

落語は人間の本質をも教えてくれます。 私の師匠だった故・立川談志(七代目)は「落語とは人間の業(ごう)の肯定だ」と看破しました。平たく言うと、「人間とは所詮“どうしようもないもの”なのだという意味です。

そんな彼の主張を裏付けるかのように、落語には“どうしようもない人”ばかりが登場します。

(中略)他人をうまく利用しようとしたり。スキあらばタダ酒にありつこうとしたり。片思いや横恋慕に悩んでばかりいたり。お金もないのに見栄っ張りだったり……。 言うなれば「成功していない人」「ダメな人」「イケてない人」のオンパレードなのです。

そして、落語の筋書きの多くは、失敗談ばかりです。その様相は「失敗図鑑」と呼んでもよいでしょう。「落語」というのは、時代が変わってもどれだけ世の中が発展しても、変わらない人間がの本質を教えてくれるのです。(「はじめに」より)

ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語』(立川談慶 著、サンマーク出版)の著者は、落語についてこのように記しています。

落語の世界を見ていると、失敗ばかりの世の中だからこそ、みんなが上手に“小さな迷惑”を“シェア”し合い、「お互い様」「持ちつ持たれつ」「で生きていることにホッとさせられるのだとも。

そこで本書では「人の心をつかむ術」を身につけるツールとしての、「日本の文化・価値観」を知るツールとしての、そして「人間の変わらない本質」を教えてくれる「教養としての落語」をわかりやすく解説しているわけです。

きょうは第1章「これだけ知っておけば間違いない落語の『いろは』」のなかから、聞く気に聞けないいくつかの基本を抜き出してみたいと思います。

「古典落語」は著作権なしのカバー曲、新作落語はオリジナルソング

落語には「古典落語」と「新作落語」がありますが、このふたつはどう違うのでしょうか?

江戸時代に完成した落語の演目は、そののち明治、大正、昭和…と現代にまで伝わることになります。

その演目数については諸説あるため正確に把握することは難しいそうですが、定説では「300くらい」なのだとか。

それらをまとめて「古典落語」と総称しているわけですが、「古典落語」はほとんどの演目の作者が明らかになっていないといいます。

和歌でいう「詠み人知らず」と同じだということです。

そのため現代においては、「古典落語」の作品をいつ、どの落語家が演じてもよく、話の細部を自由に演出したり、脚色してもOK。

落語家によっては、話の結末を変えることもあるというのですから驚きです。

古典落語をきっちりと踏襲して演じる落語家もいれば、その日のお客さんの反応を見て、臨機応変にアレンジする落語家もいるということ。

つまり、古典落語をベースとしてどう“料理”するかは落語家ひとりひとりの最良に委ねられているというわけです。

一方の「新作落語」は、現代の落語家がつくった落語つくり手である落語家の名前がはっきりしている演目のことで、新作落語を精力的につくり続けている落語家もいるのだそうです。

たとえばそのいい例が、桂文枝師匠(六代目)。文枝師匠は「新作落語」のことを「創作落語」と呼び習わし、すでに200を超える作品を発表しているのだといいます。

つまり、音楽にたとえるなら、現代で演じられている新作落語は「オリジナルソング」、古典落語は「カバー曲」といえるでしょう。(32ページより)

ただし、現代の日本で「落語」と表現する場合、たいていは「古典落語」のことを指すそうです。(31ページより)

落語家はネタバレしている噺を何回もして、なぜ生きていけるのか

「古典落語」の噺の数が約300種あるとはいえ、それらをカバーする落語家の数は1000人近く。そう考えると、「わずか300しかない」と考えることもできそうです。

でも、ポップスや演歌など歌謡曲のジャンルで、こうした状況は起こり得ないはず。多くの歌手は、自分独自のオリジナルで勝負に出ようとするからです。

「他人の曲をカバーして勝負しよう」という歌手はすでにベテランで余裕があるか、ごく少数派であるはず。

いいかえれば古典落語の噺は、いずれも完成度が高く、普遍性があり、「時代を超えても受け入れられる力を持っている」ということ。

歌謡曲の世界にも「多くの歌手がカバーしたくなる“名曲”」が存在しますが、古典落語の場合はほぼすべての噺のクオリティがそれくらい高水準なのだと考えるべきだと著者。

そのような構図こそ、落語が“スタンダードな芸能”である証拠だといえるというのです。

だとすれば古典落語を演じる落語家は、すでに完成した「噺」という「型」を自分流にアレンジして現代に再現させる「職人」と考えることができます。(33ページより)

「上方落語」と「江戸落語」はなにが違うのか

また落語には「上方落語」と「江戸落語」があり、教養として両者の違いを知っているだけで、より深く落語を楽しみ、語ることができるのだと著者は言います。

まず「上方落語」とは「上方」、すなわち商人の町として反映していた大阪や京都などで生まれた落語を指すもの。

江戸時代までは天皇が京都に住んでいたため、京都を中心とする関西を「上方」と呼んでいたのです。

もともと関西地方で行われる落語は、「大阪落語」「京都落語」などと称されてきましたが、1932年に発行された雑誌『上方』で初めて「上方落語」ということばが使われ、以後、その呼び名が定着することに。

なお「上方落語」はいまでいう大道芸のように、野外で演じられることが多かったのだそうです。

つまり通行人の歩みを止めて聞かせる必要があったため、三味線や太鼓などの楽器演奏を取り入れるなど、派手でにぎやかな演出が特徴

対する「江戸落語」とは、その名のとおり江戸でできた落語のこと。江戸は幕府のお膝元ですから、100万人程度いた人口の半分が侍でした。

そんなこともあり、「江戸落語」は彼らの間で「お座敷芸」として発展することになったのでした。(35ページより)

最低限知っておきたい知識はもちろん、落語の歴史や、知っておくと一目置かれる話、さらには他の伝統芸能の知識までが説明されているだけに、“入り口”として最適。

「落語に興味はあるけれど、どこから入ったらいいのかわからない」という方には最適の一冊です。

Photo: 印南敦史

Source: サンマーク出版

メディアジーン lifehacker
2020年3月4日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

メディアジーン

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