「人間は、AIに勝てない!?」瀬名秀明が語る、人類とAIの未来

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ポロック生命体 = POLLOCK TECHNIUM

『ポロック生命体 = POLLOCK TECHNIUM』

著者
瀬名, 秀明, 1968-
出版社
新潮社
ISBN
9784104778027
価格
1,870円(税込)

書籍情報:openBD

人間の輪郭、小説の輪郭

[レビュアー] 瀬名秀明(作家)


AIと人間の関係について、最先端の知見を背景に瀬名秀明が描き出す戦慄の未来像とは

 将棋のプロ棋士が敗れ、物語の面白さが数値化され、ディープラーニングによって、死んだ画家の新作が発表される世の中が到来した――。では、AIの生み出した作品は、芸術と呼べるのだろうか? 人間が創作をする意味とは?
 美空ひばりや手塚治虫のAIが話題になる今、AIと人間の関係について、最先端の知見を背景に瀬名秀明が描き出す戦慄の未来像とは。

 ***

 人工知能(AI)が台頭すると、いつか人間ならではといわれた芸術分野も仕事を奪われてしまうのだろうか。二〇世紀にはコンピュータでチェスのチャンピオンに勝つことが目標とされ、今世紀には将棋や囲碁でもそれは達成された。では、より人間らしいとされる感性の分野はどうか。

 二〇一八年春、雑誌《通訳翻訳ジャーナル》がAIと翻訳に関する特集を組んだ。表紙の言葉に惹かれて私も購入した。「翻訳・通訳の仕事はどうなる? 『AI時代に生き残る翻訳者・通訳者』」――とりわけ海外文学の翻訳者のなかには、「作家の思想や舞台背景を理解しなければ翻訳できないニュアンスはある」「機械翻訳では表現できない人間らしい文章を届けることは大切だ」と、人間による翻訳の重要性を説く人もいる。実際、特集の内容も、まだまだ機械では及ばないとする主張が多かった。だが私は特集記事の扉ページを開いて驚いた。そこにはでかでかと「人口知能」と印刷されていたからだ。もしAIに校正を手伝ってもらったならこんな初歩的なミスは残らなかっただろうと思うと寂しく、いたたまれない気持ちになった。

 二〇年前、ロボットブームのとき、大学の看護学部教員だった私の同僚らに、看護ロボットのことをどう思うかと訊いたことがある。彼らはいった。「私たちは患者さんに食事を持ってゆくときでも声かけをして、患者さんの具合を診ている。これはロボットではできない仕事だ。ロボットがいくら発達しても人間の看護師の代わりになるはずがない」――いま翻訳家らはAIの発展を前にして、当時の看護師と同じ論理で物事を語っているわけだ。だが現在、病棟の設備自体をAI化してゆくことで、患者さんへの見守りは高度に発展しつつある。私たち人間にはプライドがあり、自分の仕事は他に代えがたいものだと思いがちだが、実際は感性に関わるかなりの部分が機械で代替できるのかもしれない。あとは私たちのプライドがそれを受け入れられるかどうかだ。なにしろ人類はこれまで他の知性に負けた経験がない。だが今後数十年で私たちは必ず負ける。

 私は数年前からメグレ警視シリーズのミステリーで有名な、ベルギー出身の作家ジョルジュ・シムノンの小説を毎月一冊読んで感想を書くことをやっている。彼は多作家だったので、毎月読んでも二〇年かかる。最初のうちは翻訳本があったのでそれを読んでいたが、やがて英訳も出ておらずフランス語の原文でしか読めない作品に突き当たり、私は全ページをスキャンしてOCR(光学的文字認識)ソフトで読み込み、それをGoogle翻訳のウェブページにぶち込んで英語に訳して読むことにした。一五年前にもフランスが舞台の小説を書くとき、現地の書籍資料を読みたくて同様のことをやったが、当時のMacでは優れたOCRソフトがなく、文字変換も間違いだらけで使いものにならなかった。だから時代の進展はありがたいものだ。

 フランス語から日本語への変換だとまともな文章は出てこないが、英語への変換ならなんとか読める。そうやって数冊読んでいたところ、ある時期からふしぎと機械翻訳文を読んでも頭が痛くならないことに気づいた。あとで知ったが、Google翻訳の性能は二〇一六年秋に格段に向上したのだ。それ以前とそれ以後に出力される英文の質が明らかに違う。五〇年前の古い商業出版英訳と比較して遜色ないどころか、ときには質が上回っていると感じることさえある。よって私はいまでもGoogle翻訳でシムノンの未訳小説を読んでいる。多くの発見と喜びが得られた。

 実は次のことが重要だ。私はシムノンの小説を読みたいがために、数年前からフランス語教室に通い始めたのだ。いまは自分でもわずかではあるが原文で読める。すると同じ機械翻訳の英訳を見ても、「ここはよい翻訳だ」「ここは表現改善の余地がある」と、よりくっきりわかるようになってきた。いっそう深くシムノンに近づけるようになった実感がある。文学の本質は「人間を描く」ことだといわれるが、AIによって初めてわかる人間らしさもあるのだ。

 AIの発展とは「本当の人間らしさとはどこまでか」と、つねに人間の輪郭を探る歴史だ。人間性とは天井があってそれ以上広がらないものなのか。それともAIとの共存によって、より豊かに稔り得るものなのか。いまを生きる私たちは、その大切なことを見届ける世代なのだと思う。

 今回の『ポロック生命体』は、そんなことを考えつつここ数年で書いた小説をまとめた一冊だ。近年のAI関連本は出版されたその日から急速に内容が古びてしまうものが少なくない。だが本書は一〇年経っても古びない確信がある。人間らしさとは何かという問いは永遠のものだからだ。

※人間の輪郭、小説の輪郭――瀬名秀明 「波」2020年3月号より

新潮社 波
2020年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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