一点突破の志 井原忠政著『三河雑兵心得 足軽仁義』(双葉文庫)
[レビュアー] 鈴木輝一郎(小説家)
時代小説も多数手がけている小説家の鈴木輝一郎さんに、双葉社からデビューした大型新人・井原忠政さんの『三河雑兵心得 足軽仁義』についての書評をお寄せいただきました。
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本書の面白さをひとことであらわすなら、「一点突破の作品」が、いちばん近いかな?
著者の「とにかく戦国の足軽の日常を伝えたくてしかたない」という熱意に、すべてが結集された作品。初心に返らせてくれる作品でござんした。
何年も──といいたいけれど、何十年もこの仕事をやっていると、それなりに数字も見えてきて、どうしても安全策をとる。
あれこれ違ったキャラクターを配置して対立点や人物の弱点をつくったり、ストーリーに謎と解決点をつくって見せ場をもたせたり、場の背景説明をするときに視点者をかえて読みやすくしたり。まあ、バランスを考えるわけだ。
ただまあ、それだと数字は安定するけれど、本当に大切なのはそこじゃない。熱意だよね、熱意。
本書の舞台は戦国時代の三河。物語の大枠は「家康三大難」のひとつ、「三河一向一揆」を素材にしています。
「野場城の戦い」がメインの舞台なので、だいたい永禄六年(一五六二年)ぐらい。隣の尾張では、織田信長が美濃を攻め落とせなくて苦労している時代で、有名な「織徳同盟」が結ばれた直後のことです。徳川家康がまだ「松平家康」だった時代の話。
当時三河で大流行していた一向宗(現代の浄土真宗・真宗大谷派です)に対し、徳川家康が課税。これに反発した家臣団が、真っ二つに割れる大混乱となった。
あまりにもたいへんだったので、後に「家康三大難」と呼ばれるようになります。
で、本書はどんな話かというと、そこらへんの、面倒くさい歴史的な話や大局的な話はあとまわし。知らなくても楽しめます。夏目漱石『坊ちゃん』の戦国版といえば話は早いかな?
三河植田村の青年、茂兵衛(もへえ)は、正義感はあるけれど、けっこうおっちょこちょいで、手も早い。あれやこれやで村に居づらくなり、松平家康(徳川家康)の家臣・夏目次郎左衛門吉信の家来になる。──家来になるといってもタイトル通り、足軽での奉公だから「その他大勢」のひとりで、歴史や時代の流れとはまったく無縁なわけですが。
茂兵衛の殿様、夏目次郎左衛門は一向門徒。夏目次郎左衛門が一向一揆に加わることになったため、茂兵衛も、はからずも一揆をする側になってしまう、というのが、物語の流れです。どうでもいい話ですが、この夏目次郎左衛門は夏目漱石のご先祖さまです。
まあ、こうやって背景を書くとめんどくさそうでしょうが、ご心配なく。気楽に読めます。
「ねえねえ聞いて聞いて、戦国時代の足軽って、こんなもの着て、こんなふうに鎧をきて、こんな風に戦ったんだぜ!」と、著者が身を乗り出して語る感じ、っていうと、わかりますか。とにかくそこらへんの描写や説明がやたらに細かくて熱い。
名の知られた人物がほとんど出てこないのもいさぎいい。
史実的には、仕官したての足軽が、騎馬武者どころか国主級の人物と話をすることはほとんどありません。だから、この作品のような主従関係こそが、本来あるべき姿です。
とはいえ、「こすっからい同僚」の描写は活き活きしているので、この著者の地力がよくわかります。
実力のある著者が、「市場の流れなどを気にせず、思う存分書きたいことを書いたぜ!」っていう感じで胸を張ってる感じが、こちらにも伝わってきますな。
本作は三部作で準備されているとのこと。すでに続編『三河雑兵心得 旗指足軽仁義』の刊行も告知されています。お楽しみに。