旬の作家が描く、異人船建造をめぐる濃密で感動的な人間ドラマ『天穹の船』

レビュー

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天穹の船

『天穹の船』

著者
篠 綾子 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041090145
発売日
2020/02/28
価格
2,035円(税込)

書籍情報:openBD

旬の作家が描く、異人船建造をめぐる濃密で感動的な人間ドラマ『天穹の船』

[レビュアー] 菊池仁(文芸評論家)

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(評者:菊池仁 / 書評家)

 2019年度日本歴史時代作家協会賞作品賞に輝いた『青山に在り』と同様、本書も清々しい出来栄えとなっている。これは作者の人間を見つめる視線が、一作ごとに磨かれつつあることを示している。現在、旬を迎えている作家の一人と言えよう。

 物語の発端は、嘉永7(1854)年11月に起こった大地震による津波であった。

 この津波により、日露和親条約締結交渉のため、伊豆下田に停泊していたロシア使節プチャーチンが乗船していたディアナ号が大破。修理のために戸田へだに回航中に沈没してしまうという出来事が起こった。プチャーチンは幕府の許可を得て戸田港で帰国のための代船を建造することにした。これを本格的な洋式帆船の建造技術を習得する絶好のチャンスと捉えたのが開明派の江川太郎左衛門である。近郷や江戸から船匠や鍛冶を呼び集めて造船にあたらせた。

 作者はこの歴史的事実に注目し、独特の手法を駆使することで、濃密な人間ドラマに仕立て直した。旬と表現したが、作家はその歴程で飛躍的な成熟を示すことがある。前掲の『青山に在り』はその典型であったが、本書ではさらに進化した手法を編み出した。

 メインのストーリーは、崇拝する江川太郎左衛門の頼みで船大工として参加する主人公平蔵の悪戦苦闘する姿である。進化の第一は、平蔵が船大工を目指すモチーフを、得意技の和歌を巧みに使いこなすことで豊かなものに膨らませたことだ。

  天の海に雲の波立ち月の船
  星の林に漕ぎ隠る見ゆ
         柿本人麻呂

 船大工になると決めた時、贐はなむけのように太郎左衛門が教えてくれた歌である。選定の巧さに和歌に対する造詣の深さが息づいている。加えて「あの月のような船を造りたい」という平蔵の切実な思いと、造船技術を習得する際のディテールに富んだ描写が絶妙なハーモニーとなって響いてくる。作者は和歌を多用することで日本語の深さや情緒を文中に注入することを得意技としているが、本書が一番はまったものとなっている。

 進化の第二は、ドラマを重層化する手法が効果を最大限に引き出していることだ。造船のプロセスを丁寧に描く中に、平蔵の内面、要するに自問自答する様子を繰り返し撚り合わせるように挿入している。何故、この手法を採ったかは、兄弟のように育ちながらも消息不明になっていた士郎の登場により明らかになる。二人の間には埋めがたい溝がある。それが確執の原因なのだが、ミステリー仕立てにすることで奥行のあるドラマとなっている。更に、作者は平蔵の父・伊佐次と太郎左衛門の妹・みきの世代の想いを織り込むことで風雪という重しを置き、立体的な構造にしている。読み進めていくと作者の意図が行間から立ち上がってくる仕掛けを施したのである。憎いね。

 第三は、幕末という時代性を物語のフレームとしていることである。舞台となった時代は黒船来航の翌年で、異人憎しの風潮が広がり、攘夷運動が高まりを見せつつあった。異人のための船を造るとなれば周囲の反発は強くなる。仲間割れも起こる。攘夷派の襲撃も覚悟しなければならない。平蔵にも容赦なく災禍が降りかかってくる。しかし、そんな中でも平蔵は、通訳官のヨシフや設計図の作成を指導するアレクサンドルと交流を深めていく。

 平蔵が凛とした姿勢を貫くのは、「己に確かな信念があれば、それでいい、ということじゃ」という太郎左衛門の遺言ともとれる教えがあるからだ。

 作者が舞台をこの時代に設定した意図は、己の考えに固執するあまり、他を排斥しようとする人間が多かったからに他ならない。もう一つ重要なことがある。伊佐次に大規模な百姓一揆となった「郡内騒動」を背負わせたことだ。作者の狙いは明確だ。権力により理不尽な扱いを受けるのは弱者である。騒動の渦中に登場人物を投入することで時代のリアルさを再現し、それをメッセージとして機能させたのだ。この手法により物語の間口が広がる効果をもたらしたのである。

 以上述べたことでドラマが重層化し、平蔵の生きざまが強い共感を伴って読者に届く。だからこそ船が完成する感動的なラストにつながっていくのである。

篠綾子『天穹の船』
篠綾子『天穹の船』

▼篠綾子『天穹の船』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321909000281/

KADOKAWA カドブン
2020年3月7日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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