「僕ら」の「女の子写真」からわたしたちのガーリーフォトへ 長島有里枝著 大福書林

レビュー

2
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ

『「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』

著者
長島有里枝 [著]
出版社
大福書林
ジャンル
芸術・生活/写真・工芸
ISBN
9784908465116
発売日
2020/01/15
価格
3,630円(税込)

書籍情報:openBD

「僕ら」の「女の子写真」からわたしたちのガーリーフォトへ 長島有里枝著 大福書林

[レビュアー] 鈴木洋仁(社会学者・東洋大研究助手)

 1990年代、若い女性写真家の撮影した作品を男性評論家たちが「女の子写真」と呼ぶ。軽くて簡単に使えるカメラによって、若い女性も写真家になれた、とする説明は、一見とてもわかりやすい。彼女たちが撮影するのは、日常の風景や友人、あるいは、自分といった身近なものだったから、より一層安直な理解を招く。

 女性写真家の旗手とされた著者は、当事者として違和感を抱きつつ、反論の術(すべ)を持てない。本書表紙の元になった写真のように、自分を撮ることで、自身との距離を測ろうとしていたのであり、切実な思いに満ちていた。

 その思いを、著者は、まっすぐな感情に任せるのではない。社会人枠を通して大学院に入り、4年をかけ修士論文で分析し、さらに4年を費やし、400頁(ページ)近い本書に仕上げる。

 自分自身への言葉だけではなく、自らの過去の言動さえも、距離を置いて資料として眺める冷静な態度を著者は貫く。筆が対象を射抜く。

 書名の通り、「僕ら」の、つまり、男性たちが「もちあげもてはやす」宛て先として、打ちあげたのが「女の子写真」だった。背景には、既得権益を持っていた(多くは男性)評論家や写真家たちの感じた脅威があると著者は説く。

 著者だけでなく、若手写真家たちには、それぞれの思いや手法や考え方があり、それまでのように男性側の欲望に従いそうにない。そこで「女の子」の檻(おり)に閉じ込めようとした、と。

 性別の差は、社会の中で言葉により作られるという構築主義を、著者は採る。男らしさや女らしさは、定まっておらず、振る舞いによって、逆に、揺らぐ。この点に著者は希望を見出(みいだ)す。書名の後半部につながり、示唆に富む。

 対象を鋭く衝(つ)くだけに、話が単純に思われるかもしれない。しかし、90年代文化論としても、性差を論じる手本としても抜きん出る。当事者ゆえの異議から学術書へと昇華させた力業を、いまを生きる手本として全ての人に薦めたい。

読売新聞
2020年3月2日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

  • このエントリーをはてなブックマークに追加