祝・吉川英治文学賞新人賞 作家・今村翔吾誕生の秘密!
[レビュアー] 今村翔吾(時代小説作家)
私が作家になりたいと思ったのは何時頃だったか。中学二年生くらいの時にはすでにぼんやりと考えており、少なくとも高校の卒業アルバムにある将来の夢の欄には小説家と書いていた。
だが十代、二十代は一度も書こうとはしなかった。私は文芸誌を読むような高校生だった。そこには憧れの歴史小説家たちのエッセイ、対談などが掲載されているのだが、どの先生も口を揃えて、
――小説の勉強をするよりも、人生経験を積むべき。
と、仰っていたからである。小説の勉強が無駄という訳ではない。ただそれよりも大切なことがあるといったような内容であった。そして私はまだその時ではないと本気で思っていた。
転機が来たのは三十歳の時。きっかけは色々ある。このような時は神様がそう導いてくれているのではないかというほど、様々なことが身の回りに起こるものである。いやもしかしたら、すでに作家を目指す気持ちになっており、どんなものでも「きっかけ」に見えたのかもしれない。
その中でも大きなきっかけは三つ。一つは教え子からの一言。これはよくエッセイに書いたり、インタビューで答えたり、講演で話したりもする。そこで残り二つのうちの一つを今日は書こうと思う。
ご存じの方もいらっしゃると思うが、私の前身はダンスインストラクターである。父がイベントやダンススクールを運営する会社を経営していた。内勤で企画運営なども行ったが、現場に出て複数の教室でのレッスンも担当していた。教える相手は主に小中高生。そんなに多くはないものの三、四歳の未就学児や、三十、四十代の自分より年上の生徒もいた。月曜から土曜まで日中は事務所で内勤を行い、夕方から各地の教室に出向いて教える。日曜日はイベントなどに出る。従業員なら完全にブラックであるが、長男で跡取りということもあり修業という側面もあるから仕方ない。全部が全部という訳ではないが中小企業ではよくあることである。
私は朝の八時や九時から、深夜の二、三時まで平気で執筆するので驚かれることがあるが、この修業時代に比べればマシと思ってしまう。昨今はその言葉自体が使われなくなりつつあるが、「根性」が付いたのは明らかにこの時代があったからだと思う。
家族経営の方は判るかもしれないが、やはり大変なことも多い。仕事と家族の境目がいつしか失われるし、親子といえども歳を取るごとに考え方の違いも顕著になってくる。私と父の場合は、一度喧嘩になろうものならば肉親だけに互いに甘えもあったのか、派手に言い争うことも多々あった。そんな時にふと、
――俺は何故、この仕事をしているのだろう。
と、思うことが増えてきた。
私は子どもの頃から父を好きだったし尊敬もしていた。家族であることに誇りも持っていた。だから父を助けたいと思って共に仕事をしていたのだと思う。だが一緒に働けば働くほど父を嫌いに、「家族」でなくなっていくように思えたのだ。そのようなことを考えた時、いつも見つめていた父の背の向こうに、初めて広大な景色が見えたような気がした。
二〇一四年の秋が過ぎ、冬の香りがし始めた頃、私は父に自らの人生を歩みたいことを告げた。父は当初は反対するつもりだったらしい。ただあることを言った時だけは、止めるのは無理だと思っていたという。
「小説家を目指す」
私の一言はまさしくそれであった。子どもの頃から本の虫であったこと、いつか小説家になりたいとぶれずに言い続けたことを父も知っている。それにもう一つ。
高校二年生の頃、学園祭で劇をやることになった。演目は「新選組」で、何とも渋いチョイスをしたものだと思う。その脚本を私が担当することになった。当時はパソコンも使えずに手書きでひたすら書く。時間も無かったので何日も夜遅くまで机に向かっていた。しかもテスト期間中である。普段ならば「勉強もせえよ」などという父であったが、その時だけは何も言わなかった。深夜にふらりとコンビニに出かけて戻ってくると、
――腹減ってるやろ。食べるか。
と、カップのにゅう麺に湯を注いでくれた。私はそのことを鮮明に覚えていたが、父もまた同じだったらしい。その時の私は生まれてから最も真剣で、目を輝かせているように見えたという。
「それを言うたら、しゃあないと思ってた」
父はそう言って苦笑して酒を呷った。
こうして私は父の下を離れ、小説家を目指すことになった。そこから昼間に仕事をし、夕方から深夜三時まで書くような日々を過ごし、約二年後にデビューすることになった。
今回、「くらまし屋稼業」シリーズの第六弾にあたる『花唄の頃へ』が刊行される。この作品では、
――人は何歳から大人か。
と、いうのが一つのテーマになっていく。再来年の三月までは成人は二十歳と定まっているが、選挙権は十八歳以上に下げられ、結婚も男性は十八歳、女性は十六歳以上と少々歪になっている。それぞれに法律が作られた時代が異なるとしても、今まで統合されていなかったのは、大人と子どもの境を明確に示せないところに理由があるように思う。私は人間という生き物に敢えてその境を求めるならば、身体ではなく、心の成長ではないかと思う。そしてそれには周囲と人、あるいは家族との関わりが大きく寄与していると思うのだ。本作ではその辺りが事件を生んでいくことになるので、是非とも楽しみにして頂きたい。
だとするならば私が真の意味で大人と言えるようになったのは、父の下を離れた三十歳の頃か。法律に照らし合わせれば些か歳を食っているが、存外、人における境はそれぐらいなのかもしれない。そして少なくとも、この父の下に生まれなければ、小説家の私はいなかっただろう。
毎日父といたのが、今では盆暮れに会う程度。十年近く仕事の話しかしてこなかったことが尾を引いているのか、まだ会話はどこかぎこちない。父も、私も、多忙な日々を過ごしているが、温泉でも一緒に行けたらいいなと、こうして筆を取りながらふと考えている。