“オウム”すらネタにしたサブカルを通して見つめる今

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ポスト・サブカル焼け跡派

『ポスト・サブカル焼け跡派』

著者
TVOD [著]
出版社
百万年書房
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784910053127
発売日
2020/01/31
価格
2,640円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

“オウム”すらネタにしたサブカルを通して見つめる今

[レビュアー] ラリー遠田(お笑い評論家)

 矢沢永吉、ビートたけし、電気グルーヴ、秋元康など、それぞれの時代を彩った人物やグループを題材にして、70年代から現在までのサブカルチャー(サブカル)の歴史をたどる評論本。膨大な量の知識に裏打ちされた骨太な内容だが、口語体の対談形式で読みやすい。

 俎上に載せられているのはほとんどミュージシャンばかりだが、音楽に興味がなくても楽しめる。音楽そのものを論じているのではなく、彼らが大衆によってどのように求められ、どういうキャラクターとして消費されてきたのかということに焦点が絞られているからだ。

「複数の音楽ネタを自在に組み合わせているという点で渋谷系とヴィジュアル系は似ている」「椎名林檎が日本的なものに傾倒する背景にはサンプリング的な軽薄さがある」「星野源の下ネタには古い男性中心主義的な価値観がにじみ出ている」など、個々のテーマについて思わず膝を打つ鋭い分析がある。

 本書を書く動機として著者の中にあるのは、今の時代に対する切実な問題意識だ。消費税は上がり、格差は広がり、災害復興は進まない。ネット右翼が差別を撒き散らし、与党政治家は「美しい国」を作るために憲法改正の必要性を訴える。

 著者の二人は84年生まれ。79年生まれの私も世代が近いので彼らの感覚はよく分かる。バブルの残り香が漂う90年代はCDが最も売れた時代だ。そんな時期に青春時代を過ごした我々にとって、あらゆる文化を貪欲に吸収し、次々に消費していくのは当たり前のことだった。

 誤解を恐れずに言えば、95年に地下鉄サリン事件という未曾有の無差別テロ事件を起こしたオウム真理教すら、私たちは一種のサブカルネタとして楽しんでいた。学校の休み時間にはオウム幹部の物真似をしたり、オウム用語を使ったギャグを言い合ったりしていたものだ。いま思えば、すべてをネタとして楽しむあの時代の精神的な余裕は、経済的な豊かさを前提としたものだったのかもしれない。

 安物のカルト組織としての安倍政権が国民の貧しさから目を背け、恥も外聞もない醜悪なドタバタ劇を繰り広げているのを見ていると「なんでこんなことに?」と心底思う。

『TV Bros.』の定期刊行終了、『映画秘宝』休刊など、サブカルの終わりを象徴するような出来事が立て続けに起こっている時代に、大量消費社会の最後の生き残りである我々はどこへ向かえばいいのか。サブカルを通して今を見つめる一冊だ。

新潮社 週刊新潮
2020年3月12日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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