『愚者(あほ)が出てくる、城寨(おしろ)が見える』
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ニヒルかつ冷酷な世界で熱く求めた“無疵な魂”
[レビュアー] 野崎歓(仏文学者・東京大学教授)
【前回の文庫双六】職人気質の男を描いた 逝ける作家を偲ぶ――北上次郎
https://www.bookbang.jp/review/article/611493
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藤田宜永のもっとも初期の本の一つが手元にある。1983年に出たハヤカワ・ミステリ文庫、J・P・マンシェット『危険なささやき』の翻訳だ。訳者略歴では「エッセイスト 仏文学翻訳家」となっている。これに続きピエール・シニアックの『ウサギ料理は殺しの味』(中公文庫)の翻訳も出している。作家デビューの直前、藤田は特異な面白さをもつフレンチ・ミステリの紹介者として頭角を現していた。
いずれも今は絶版だが、幸いマンシェットのほうは、彼の文学を「フロベールとハメットの婚姻」と高く評価する中条省平による翻訳が2冊、文庫に入っている。『愚者が出てくる、城寨が見える』をまずはご一読あれ。しかるのちに『眠りなき狙撃者』(河出文庫)へと進まれるのがよろしかろう。
世間一般のミステリとはかなり勝手が違う。とはいえ硬質な文章がぞくりとするような魅力を放っていて、それにやられると夢中でページを繰らずにはいられなくなる。
ニヒルで冷酷と見えて、その実、とんでもない熱狂を秘めた作品だ。緊張の糸がぷつんと切れた瞬間、アナーキーな錯乱状態が連鎖的に広がり出す。しかも中条が解説するとおり「物語の突飛な展開は良識ある読者の予想を裏切り、にもかかわらず、心にくい伏線が精妙に張りめぐらされ」てもいる。
精神科病院から始まる物語は、壮絶な逃亡劇を経て最後、不思議な城にたどり着く。そこに至るとハードボイルド小説が一種、大人の童話のような趣きを漂わせる。超クールなダンディ、マンシェットの童心に触れる思いがする。
タイトルの元になったアルチュール・ランボーの詩句は「季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える」(「幸福」中原中也訳)。原詩はさらに「無疵(むきず)な魂(もの)なぞ何処にあらう?」と続いていた。弾丸の乱れ飛ぶ殺伐とした世界を出現させながら、そのただなかでマンシェットは「無疵な魂」のありかを求め続けていたのかもしれない。