荒れ野の六十年 東アジア世界の歴史地政学 與那覇潤著

レビュー

8
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荒れ野の六十年

『荒れ野の六十年』

著者
與那覇潤 [著]
出版社
勉誠出版
ISBN
9784585222644
発売日
2020/01/31
価格
3,520円(税込)

書籍情報:openBD

荒れ野の六十年 東アジア世界の歴史地政学 與那覇潤著

[レビュアー] 苅部直(政治学者・東京大教授)

 過去のある時代に日本人が、現実にそののち展開した歴史とは別の道を、もしも歩んでいたらどうだったか。そう問いかける発想は、歴史の専門家からは一般に評判がわるい。それは、史実を明らかにする作業の範囲から、大きくはみだしてしまうからである。

 しかしこの本で與那覇潤は、中世史家として活躍した網野善彦が「ありえたかもしれない日本の探求」を、史料の厳密な読解と並行して行っていたと評価する。網野の場合それは、権力や契約による固定した秩序には、それを相対化する「無縁」の原理が、深層で常に貼りついていたことを、日本中世の歴史のなかに発見する営みであった。

 また、内藤湖南の中国史論に関する指摘もおもしろい。湖南は西洋のモデルで近代化を考える通常の発想を批判し、宋代以降の中国の国家・社会のあり方こそが、ポスト近代の人類史の方向を指し示すと説いた。明治維新に始まる日本の歩みもまた、出世競争の開放や儒学風の徳の教育という側面について見れば、まさしく「中国化」ということになる。

 この二人をめぐる論考を中心にして、現代の歴史学の動向を論じた文章を集めた本である。全体を貫いているのは、「近代」「西洋」「アジア」、そして「日本」について一定のイメージを固定させたまま、それを疑おうともしない研究者に対する怒りにほかならない。とりわけ、近代の日本を「帝国」と見なして否定し、「アジアと連帯する私」を自演する「識者」への批判は痛烈で、そうした観念論をみごとに破砕している。

 湖南は「歴史の深みから自国の近代を突き放した」と與那覇は評価するが、その姿勢を引き継ごうとすれば、みずからの思考についてもまた相対化することを迫られる。この本を読む人もまた、世界観を大きく揺さぶられることになるだろう。だがその動揺のなかにこそ、歴史の本当の醍醐(だいご)味があるのではないか。著者の苦闘はそう問いかけている。

 ◇よなは・じゅん=1979年生まれ。東京大大学院博士課程修了(日本近現代史)。著書に『中国化する日本』。

読売新聞
2020年3月9日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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