宮崎駿の苦悩や逡巡、透徹を追体験 名作を深く精緻に読み抜く論考

レビュー

6
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ナウシカ考

『ナウシカ考』

著者
赤坂 憲雄 [著]
出版社
岩波書店
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784000241809
発売日
2019/11/22
価格
2,420円(税込)

書籍情報:openBD

宮崎駿の苦悩や逡巡、透徹を追体験 名作を深く精緻に読み抜く論考

[レビュアー] 福岡伸一(青山学院大学教授)

 赤坂憲雄の最近の著作には何かに取り憑かれたような殺気がある。近著『性食考』、そして今回の大作『ナウシカ考』。ふたつの「考」は一見互いに独立しているように見えるが、実は通底している。人類史における、ロゴス(論理)とピュシス(自然)の相克を考え抜いているのだ。

 宮崎駿の『風の谷のナウシカ』にはアニメ版とマンガ版がある。高度に文明化した社会が最終戦争によって破壊された後の千年。アニメ版が、少女ナウシカをシャーマン的な地球環境の救世主として描き、物語を小綺麗にまとめたのに対し、その後、長期にわたって書き継がれたマンガ版では、この結末が否定され、複雑に絡まり合った難解なものとなる。

 千年といえば『ヨハネの黙示録』である。赤坂は同じ構造を見てとる。キリストの死とサタンの封印、千年王国、そして最終戦争を経て永遠の時が訪れる。ところがナウシカの物語は一筋縄には進まない。特に結末、人類再生のために密かに準備されていた約束の場所を破壊してしまうナウシカの行動は最大の謎だ。

 赤坂は宮崎駿の苦悩、逡巡、そして透徹を追体験し、それを宮崎自身の内部に谺(こだま)するポリフォニー(多声)だと見てとる。赤坂の結論はこうだ。ナウシカの物語は、黙示録ではなく、黙示録的なプログラムを最終的に拒絶する反-黙示録なのだと。宮崎駿の思想を、ここまで精緻に読み抜いた論考はかつてなかった。『トトロ』も、『もののけ姫』も、『千と千尋』も、この哲学とつながっている。

 本書を読みながら終始、私の脳裏に(まさにポリフォニーとして)谺していたのはSF作家ラッセル・ホーバンの奇書『リドリー・ウオーカー』だった。舞台は最終戦争後、数千年が経過した英国。文明はすべて失われ、人々は遺跡から鉄骨などを発掘し再利用している。奇書と書いたのは、文字さえもいちど消失し、この本自体が不完全な英語で書かれているからだ。そんな中、一部の人間が武力と権力の復興を目指し始める。主人公の少年リドリー・ウオーカー(謎を歩く人、の意)も残虐な闘争に飛び込む。しかし最終章で、リドリーはすべてに背を向けて旅芸人の一座に加わって姿を消す。この奇妙な終わり方を、私は、パワーを求めないことこそが真のパワーだ、というメッセージとして読んだ。

 永遠の時を拒否して森に去ったとされるナウシカ。その後ろ姿とリドリーが重なった。二人はロゴスを拒み、ピュシスに従ったのだ。

新潮社 週刊新潮
2020年3月19日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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