往復書簡が導く、毒殺事件の真相
[レビュアー] 西上心太(文芸評論家)
六十歳を越してから、ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞した作者だが、デビューからおよそ十年、巧みな工夫が凝らされた本格ミステリーをコンスタントに発表していることは敬服に値する。
昭和四十一年の夏、地方都市の有力者だった楡伊一郎(にれいいちろう)の法要が終わり、家族や関係者以外が楡家から帰った後に事件は起きた。伊一郎の長女・澤子と亡き長男の息子・芳雄の容体が急変し、搬送先の病院で死亡したのだ。毒殺である。澤子の飲んだコーヒーカップと、芳雄が食べたチョコレートから砒素(ひそ)が発見されたのだ。
だが事件はあっけなく幕を閉じる。澤子の夫で、楡家の婿養子である治重(はるしげ)が着ていた上着のポケットから、チョコレートの包み紙が見つかったのだ。治重は自首し、裁判で無期懲役が確定した。それから四十年。伊一郎の次女・橙子(とうこ)の元に、仮釈放された治重から手紙が届く。その手紙には自分は無実であること、そして獄中で考え抜いた事件の真相と真犯人が記されていた……。
この作品の中核を占めるのが治重と橙子による往復書簡である。この書簡から読者は、伊一郎という独裁者によって歪められた楡家の人々の関係や、隠されていた愛憎を知ることになる。さらに治重と橙子による推理合戦がくり広げられ、真相に近づいていく過程にも寄り添うことになるのだ。
アントニー・バークリーの古典的名作『毒入りチョコレート事件』を髣髴(ほうふつ)させる多重解決ものであり、井上ひさしの隠れた傑作『十二人の手紙』と比しても遜色ない書簡ミステリーという二つの側面が本書にあるのだ。だが作者の工夫はそれだけにとどまらない。書簡という形態を逆手に取った仕掛けが炸裂する、最後まで油断できない作品なのだ。