その日世界は思い出した。核に支配される恐怖を――史実をベースに、三十年の時を隔てて繰り広げられる謎と陰謀と恋と冒険『燃える地の果てに』

レビュー

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燃える地の果てに 上

『燃える地の果てに 上』

著者
逢坂, 剛, 1943-
出版社
KADOKAWA
ISBN
9784041078594
価格
968円(税込)

書籍情報:openBD

燃える地の果てに 下

『燃える地の果てに 下』

著者
逢坂, 剛, 1943-
出版社
KADOKAWA
ISBN
9784041078617
価格
968円(税込)

書籍情報:openBD

その日世界は思い出した。核に支配される恐怖を――史実をベースに、三十年の時を隔てて繰り広げられる謎と陰謀と恋と冒険『燃える地の果てに』

[レビュアー] 川出正樹(書評家)

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
(解説者:川出 正樹 / ミステリ評論家)

「死と不幸が、真の魅力と尊厳をもつのはスペインを措いて他にはない」
栗田勇『逸楽の華さく都』

「強烈なパンチは、まるで眼中になかった方角からいきなり飛んでくるのだ」
ジェフリー・ディーヴァー『煽動者』

 一九六六年一月十七日、午前十時二十二分。後に世界を震撼させることになる米軍機同士の衝突事故が発生した。アメリカ空軍のB52G爆撃機とKC135A給油機が、地中海にほど近いスペイン南部に位置する辺境の地パロマレス近郊の上空で、空中給油中に衝突、墜落したのだ。緊急脱出した搭乗員のうちで助かったのは、爆撃機に乗っていた四名のみ。地上では収穫間近のトマト畑が全滅したものの、奇跡的に住民からは一人の死傷者も出なかった。

 だが実際には、事態は深刻だった。爆撃機には、対ソ哨戒作戦のために核爆弾が四基搭載されており、墜落間際にパラシュート投下されたものの行方不明になってしまったのだ。時は東西冷戦の真っ只中であり、万が一にも仮想敵国のソ連の手に落ちたりすれば東西の軍事バランスが一挙に崩壊する。さらに間が悪いことに、十日後にはジュネーブでの十八カ国軍縮会議が迫っていた――会議の主題は、核兵器拡散防止条約と全面核実験停止協定。アメリカは、直ちに《ブロークン・アロウ》作戦を発動。核爆弾紛失の事実を隠したまま回収すべく大規模な捜索活動を開始する。観光客はおろかスペイン人でさえ訪れることのない眠ったような辺境の地パロマレスは、一躍、世界中の注目を集め、その名は核兵器の恐怖とともに歴史に刻まれることになる。

 本書『燃える地の果てに』は、この歴史的事実に基づき、現代史の暗部に照射したスケールの大きなミステリだ。思惑通りに進まない回収作戦に苛立つ米軍作戦本部、米西共同の公式発表に疑念を抱き放射能汚染に脅え自衛に走る村民、さらには米軍の意向を受け、武力にものを言わせて人々の口を塞ごうとする治安警備隊。入念に資料に当たり現地で取材し事実を咀嚼した上で、当時の状況を克明に描き出す逢坂剛の筆致からは、東西冷戦に加えて、フランコ総統による独裁体制下にあったスペインの特異な状況が手に取るように伝わってくる。「私にとってスペイン現代史はライフワークのテーマであり、学者や歴史家とは別の立場からスペインの断面を切り取る仕事を続けたいと考えている」(『幻のマドリード通信』あとがき)と語る逢坂剛は、こうして史実をエンターテインメントとして再構成し、六〇年代半ばの複雑な世界情勢を読者に分かりやすく提示する。

逢坂剛『燃える地の果てに(上)』(角川文庫)
逢坂剛『燃える地の果てに(上)』(角川文庫)

 その上で、世界を震え上がらせた大事故の裏で起きていたかも知れない謀略劇を、縦横無尽に展開していく。日本人の友人サンティに見せて貰った《エル・ビエント》の銘が入ったギターに惚れ込み、スペインに渡り、辺境の地パロマレスにある工房を訪れたフラメンコ・ギタリストの古城邦秋。村一番のインテリとして一目置かれ、小学校の代用教員も務める若き名工ディエゴ・エル・ビエント。ともに二十代の日本人とスペイン人の若者二人は、やがて核爆弾の行方を巡る謀略に巻き込まれていく。謎と冒険、交錯する男女の思惑。ソ連のために暗躍するスパイ《ミラマル》の正体とは? 不穏な空気を孕みながらも悠然と展開する物語は、徐々に加速度をつけて怒濤のクライマックスへとなだれ込む。

 この一九六六年のスペインを舞台とした本編の最初と最後、そして幕間に挟み込まれるのが、事件から三十年を経た一九九六年の物語だ。新宿でバー《エル・ビエント》を経営するサンティこと織部まさるは、来日した年若きイギリス人クラシック・ギタリスト、ファラオナの奏でるギターに古い記憶をまざまざと呼び起こされる。三十年前に作られた《エル・ビエント》のフラメンコ・ギターを持っているサンティは、彼女のギターが昨年作られたばかりの《エル・ビエント》だと知り俄然興味を惹かれる。しかもそれは、半年ほど前に、一ファンよりと記されたカードを添えられて楽屋に置かれていたというのだ。サンティの口から、エル・ビエントがかつてパロマレスに住んでいたと教えられたファラオナは、贈り主の正体を確かめるためにエル・ビエントを捜し出したいのでスペインに同行して欲しいと持ちかける。サンティには、パロマレスに住んでいた日本人の旧友を捜せばよい、と言って。かくしてスペインへの人捜しの旅が幕を開ける。

 核爆弾を巡る陰謀劇は、いかなる結末を迎えたのか。三十年の時を隔てた二つの物語が融合した時、いったい何が立ち現れるのか。

「わたしの野心はいわゆる〈本格ミステリー〉と、〈ハードボイルド〉の融合に向けられていた」(『小説家・逢坂剛』)と語る逢坂剛は、そもそも長編第一作の『裏切りの日日』(一九八一)が、公安警察もののハードボイルドに人間消失トリックを掛け合わせているように、多くの作品で所謂本格ミステリ的な仕掛けを施している。その中でも本書『燃える地の果てに』は、完成度と衝撃度、そして公正さの点でズバ抜けている。元版刊行時に「このミステリーがすごい! 99年版」で堂々二位に輝いた一因は、この見事な手際にある。

下巻
下巻

 ところで、『燃える地の果てに』にはベースとなった中篇が存在するが、結末が異なる上に、要となる仕掛けが施されていないため、味わいはまるで異なる。一九九八年に本書の元版が刊行されて、美術史研究家で大のミステリ・ファンでもある高階秀爾と対談した際に、パロマレス米軍機墜落事故に基づいたミステリを執筆した「最初のきっかけは、古本屋で『恐怖の八十日』という事件のレポートを、十何年か前に見つけたことなのです」(『古書もスペインもミステリー 逢坂剛対談集』)と明かしており、そこから原型となった「遥かなりアルマンソラ」(「オール讀物」一九八五年十月号)という四百字詰め原稿用紙換算で百二十枚ほどの中篇を執筆したが、最初から長篇化する構想を持っていたため、この作品はこれまで一度も中短編集に収録されたことがない。

 それから長篇化するまでに十年の歳月を要した理由については、前出の対談で「しかし、それ以外に資料がないんです。もうかれこれ五、六年前に、また別のアメリカのジャーナリストのレポートを手に入れて、データが二冊になった。でも抄訳なので、肝心のところが出てなかったりする。ところが、イギリスの古本屋を歩いていて、その原書を見つけたものですから、やっと目鼻がつきました」と語っている。かくして「別冊文藝春秋」の一九九五年秋季号から一九九八年春季号まで連載された後、加筆修正され千二百枚という逢坂剛作品の中でも『カディスの赤い星』(一九八六)と双璧を成す大長編に仕立て上げられた。

 ちなみに逢坂剛はこれまでに全部で十四作のスペインものを上梓している。それらは、デビュー前の一九七七年に初稿が完成した『カディスの赤い星』から、一九九八年に刊行された本書『燃える地の果てに』迄の五長編・二短編集と、本書の連載期間中の一九九七年に開幕し十六年の歳月をかけて完結した、第二次世界大戦期間中の欧州における日本人の闘いを描いた大河エスピオナージュ〈イベリア・シリーズ〉全七巻とに大別される。仮に前者を第一期、後者を第二期とするならば、この本を世に出すために作家になったと言う『カディスの赤い星』と第一期の掉尾を飾る『燃える地の果てに』は、長さという柄の問題だけでなく、内戦終結後のフランコ総統による独裁体制下(一九三九~一九七五年)のスペインを舞台にしている点や、ギタリストとギター製作者、そしてギターそのものが重要な役割を担う点など、中身を比べても対を成しているところが興味深い。どちらか一方しか読んだことがない方は、読み比べてみて欲しい。

 また、逢坂剛のスペインものに触れたことがない方がいらしたら、ぜひとも本書『燃える地の果てに』を読んでみて欲しい。硬質な肌触り、奔流する熱情、くっきりとした光と影、凄みある悪役、そして作品を覆う乾いた空気。それらが相まって活写される、謎とアクションに満ちたサスペンスフルかつ切れ味の良い逆転劇を味わってみて欲しい。 時の浸食とは無縁の輝き続けるエンターテインメントがここにある。

▼逢坂剛『燃える地の果てに(上)』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321810000187/

KADOKAWA カドブン
2020年3月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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