『ひとの住処』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
タモリさん、隈研吾の案内で国立競技場を巡る!
[文] 新潮社
《車に乗り、木組みが特徴的な隈建築のひとつ、サニーヒルズ南青山店へ移動》
タモリ ここ(サニーヒルズ)もまた、まあ、複雑なことをやられていますね。
隈 タモリさんもお好きそうですが、竹に紙、石や木にガラス、もう、いろいろな材料に挑戦するのが好きで好きで。例えば、木ですと、福岡の太宰府のスターバックスもここと同じ木組みです。
タモリ ああ、太宰府の、行きました。
隈 競技場の木は10・5センチ角で、太宰府とここが全部6センチ角です。ただし、同じ原理と寸法で組んだものの、太宰府は平屋なので1階だけ支えればいいんですが、ここは3階建てを全部支える必要があり、難易度が上がりまして……。
タモリ この細いので支えるって……。
隈 これが「地獄組み」という組み方なんです。大きな建築に使うのではなくて、家具など小さなものを強くするために、細い材料を組み合わせていく。一度組んだら離れない技法だから地獄で、それを建築に応用しました。
タモリ 荷重は周りで支えるわけですか。
隈 柱はなくて、荷重はこの木組み全体で分散して支えています。使った木の全長が5・4キロほど。
タモリ 柱がないとつい不安になりますよね。ほお。すごい荷重のかけ方だな。一本一本組んで設計するわけでしょう。
隈 よくぞ言ってくれました(笑)。なにしろ立体的に理解しにくいので設計もさすがに大変でした。この6センチ角の木を組んで模型(左写真下)をつくりながら設計を進めました。
タモリ ほお!
隈 工事の方もなかなか引き受けてくれる建設会社が見つからず、みんな図面を渡すと「これはできません」という。やっと引き受けてくれたところが「佐藤秀」という工務店なんです。
タモリ ああ、佐藤秀がやってくれましたか(笑)。
隈 やはりご存知でしたか(笑)。創業者が佐藤秀三さんでして。最後の頼みの綱のここも、実際に自分たちで試作をしてみてやっと方法がわかったそうです。
タモリ このやり方でつくる建物はその後は続いているんですか。
隈 それがなかなか大変で……。
タモリ これは大変だろうなあ。でも、この組み方は日本に昔からあった?
隈 この「地獄組み」は、縦と横で格子状に組んだ後それをもう一回、3層にすると動かないぞという組みです。単にもう一回組んで二重だとスライドしてしまう。つまり、組み方にも斜めにする最新の工夫があるので、単に伝統的とは言えないと思います。
タモリ 思いつかれたわけですか?
隈 ここは実は、台湾のパイナップルケーキ屋さんの支店なので、依頼を受けた途端にパイナップル状にしようとすぐにひらめきました。細い木を千鳥格子で組む僕の木のシリーズとしては第3弾なんですが、一番難易度が高かった……追随する建物がないのはそのためです。
タモリ もう二度とやりたくない(笑)。考えついたのはよかったけれども、難しかったんですね。手入れは必要ですか?
隈 掃除はあまりせずに、もともと色が変わっていく経年変化をよしとする考え方です。でも、クモの巣は大丈夫ですが蜂の巣ができるし、カラスが結構来ますね。蜂の巣は、毎年つくられちゃうので、撤去に手間をかけているそうです。
タモリ 全体がなにかの巣のような。窓の周りの木組みが空いているのは、開けるためにそういう構造にされたんですね。
隈 模型を見るとわかりやすいです。他はつなげて、荷重を流します。
タモリ 模型だけでもはや一つの芸術作品ですね。
隈 3Dプリンターを駆使しました。サカノさんという名人がいらして。図面のやりとりだけで地獄だそうですけど(笑)。
タモリ へえ。サカノさん。
隈 いまの時代の技術だからできる建物でもあるんです。複雑な荷重の流れの解析もコンピューターでできる。昔は単純なフレームでしか構造計算ができなかった。
タモリ 時代と共にできることが変わったわけだ。
隈 昔の木造とは違い、現代の技術の産物だと言えますね。もちろん施工も進化していますが、最後まで人間がつくる点で限界があり、コンピューターのようなスピードでは進化していません。一方の構造計算は、完全に計算だけの世界だから、すごいスピードで進化したんです。
《隈氏の著書『ひとの住処』を手にして》
タモリ 時代の変化を書いているといえば、『ひとの住処1964-2020』はとても面白くて、一気に読みました。文章もわかりやすくて。
隈 ありがとうございます。自伝でもあり、こういう木の建築に至った考え方をまとめた本でもあります。
タモリ 全部面白かったです。たとえば地方の現場で職人と話をするところ。
戦前、福岡のうちの家の半分を畑にしていたんですが、小学校3年ぐらいの頃にそれを売っちゃったんですよ。隣に家が建つことになって、毎日、小学校から帰ってきて現場をずっと見ていました。
隈 工事現場を?
タモリ とにかく面白くて。基礎からセメントの配合、壁土までぜんぶじっと。
隈 工事現場を見守る小学3年生(笑)。
タモリ ええ。毎日見ていましたね。建ったら建築主が引っ越してくるんだけれど、俺の方がよほど自分の家だと感じていました。「何だ、この人ら俺のうちに図々しい」と思って(笑)。
隈 その後も建築の工事には興味が?
タモリ ええ、興味がありますね。27か28の会社員時代に、友達がどういうわけか、無謀にも建築会社を始めたんです。適当な言い訳をしてその会社に顔を出して、面白くて午後からはずっと現場に通っていた時期がありました。
隈 やっぱりじっと見ていた。
タモリ ちょうど行ったら左官屋が風呂場をつくっていたんです。「おい、さくいセメントをつくってくれ」と言われたからだいたいの勘でセメントをつくったんです。左官屋が「これ、よくできているぞ。キャリアはどれぐらいあるの」と聞くから、「初めてつくりました」「へえっ。君、左官屋にならないか」って、スカウトされたこともあったんですよ。
隈 えーっ! それは違う人生がありましたね。左官仕事はできる人できない人がはっきりしていて、僕はできない(笑)。
タモリ それもやっぱり小学校のときに見ていたからです。セメントと砂と水の割合を、土台をつくるときはこれぐらいだなと、だいたい覚えていたんです。
隈 それは感性が鋭い。
タモリ たぶんできるんじゃないかなと思って具合を見てやってみたら意外にできた。そうしたらスカウトされてました。
隈 自分ちの改装の手伝いはやったんですが、塗装とか床の板を張るとか、僕はそれくらいでした。左官のタモリさんとお仕事をご一緒してみたいなあ(笑)。
タモリ 本の中に、高知の田舎、檮原の左官の方と、壁に藁をどれぐらい入れるかの話があったでしょう。うらやましく読みました(笑)。
隈 田舎の現場だと職人と腹を割って話せて、創造的なんです。何か無理を言われたのを「やってやっか」となるのか、職人にとっては楽しそうでもあります。
そういえば、ご自宅を建てられるときはどうされたんですか?
タモリ 30年前の話なんですが、建てるときに、建築家の方に紹介で会ったんです。家の設計をお願いしますって言ったら、何をなさっているんですか? って。
隈 タモリさんを知らなかった(笑)。
タモリ 一言でどういう住宅を建てたいんですかと聞かれて「シャンデリアのない家がいいですね」「ああ、それ僕、できます」。ただし「その代わり半年間一緒に飲んでくれ」と言われました。つまり、何を考え、どういう行動でどういう趣味なのかわからない限りは住宅はできないからと。
隈 それはすごいな。
タモリ 2回目に「あなたは有名らしいですね」と言われ、聞けば「家に帰って、今度タモリという人の住宅を建てることになったって言ったら、みんながわっと盛り上がった。ちょうど日曜日だったので、『笑っていいとも!増刊号』を家族で見たけど、どこが面白いのかわからなかった」と(笑)。椎名政夫という方です。
隈 アメリカで活躍された方ですね。
タモリ そうです。毎週1回、スケジュールを合わせて飲み屋に行くんですよ。建築の話からなにから、いろんな話をして、半年経ったらいよいよ設計が始まって、無事に家は建ちました。
隈 全体としては、どんな感じのをお建てになったんですか。
タモリ L字の鉄筋なんですが、設計段階に入ったら、裏にこっちの家に入る道があって、それと表の通りが直角じゃないことが判明した。それで一部をちょっと円形にして、ごまかしてあるんです。
隈 へえ、なるほどね。
タモリ そうしたら、何か近所に急に円形の家が増え始めて。今は3軒、円形の家があります。でも、俺はしゃれてやったわけじゃない、苦肉の策でやったのに。
隈 流行って連鎖するんですよ。特に近所で(笑)。
タモリ 実は使いづらいんです。家具は円形の家具になりますし。
隈 あ、中の壁も円形になっているんですか。だいたいの家具は直角ですもんね。
タモリ ええ。でも建築家の方と最初からやりとりできて面白い経験でした。
隈 タモリさんの方が建築家より知っていることが多いんじゃないんですか。
タモリ えっ。いやいや、そんなことは。
隈 この配合が、なんてさっきも。
タモリ あ、現場は強いです。競技場も実際に見ると、木がきれいでした。そして、威圧感のなさ、のようなものを感じました。あと、近所のビルの上の方から見た知り合いが、あのちょうどいい高さと、森とのマッチングに感心していました。本にある空撮写真を見ると、まさに森の中ですよね。
隈 絵画館前の方から見ると、木の一番上が少しだけ出るぐらいの高さに競技場が収まり、ほとんど木に隠れる感じになってうまくいきました。設計するときから木の高さと建物の関係に注意をしていたのが、その通りにいって良かったなと。
それから、今日は歩きませんでしたが、すぐ横のイチョウ並木から絵画館の方を見ると、完全に競技場の建物が森に消えているポイントがあります。森が豊かなんです。
タモリ ほう。神宮外苑という森ですね。
《左官への応援で意気投合するふたり》
タモリ 『ブラタモリ』(NHK総合)で秋田に行って知った余談なんですけど、秋田産の天然のアスファルトは東京でもよく使われたそうですが、いま残っているのは絵画館の前だけらしいんです。
隈 えっ、あの道路に敷いてあるやつ。そもそも、天然のアスファルトがそんなに使われているとは! 面白いですね。
余談ついでに言うと、あのイチョウ並木は、イチョウの高さに変化をつけて、1923(大正12)年に造園しているんです。青山通りから見て、徐々に高さを低くして木を植えているから、遠近法で絵画館の建物が立派に見える。
タモリ へえ。いまもそのままですか。
隈 そこまで考えてイチョウの木を選んだ人たちは、すごい(笑)。
タモリ さすがですね。鎌倉の鶴岡八幡宮もそうですね。海側から行くと参道の幅が広い。視覚効果が出て、ずっと歩いていくと狭くなっていく。
隈 あれは鎌倉時代ですね。
タモリ その頃からなんですね。
隈 神社など見ると日本人は昔から、そういうノウハウを持っていますよね。能舞台も橋掛かりは傾斜をつけていますし。建物に知恵が凝縮されている。
タモリ 本の中にある、建築された宮城、登米の能舞台の話は面白いですね。2億円でやってくれと地元の方たちに頼まれて大変な目に(笑)。
隈 能舞台なのに、桁が一つ違うんです(笑)。でも、地元の情熱に負けました。
タモリ 能舞台がそもそも、屋根のついた屋外での建物が、明治期になって屋内に屋根ごと入ったなんて驚きました。
そういえば、伊豆に小さな家を建てたんです。木と漆喰が好きなのでそれで発注して、現場へ行ったら、左官屋が匂いを嗅ぎながら懐かしがっていました。
隈 漆喰は悪い物質を吸着してくれるので環境にいい。
タモリ 気持ちがいいわけだ。
隈 頼み続けないと、その職人さんの技術がなくなっちゃうんですよね。
日本の左官は、壁や床、土塀をコテを使って塗り上げる仕事がメインですが、世界でも技術力を高く評価されています。そして建築と左官は、世界市場ではセットですから重要です。若い人でカリスマ職人的な人も出てきていまして、なるべく左官に仕事を頼むようにしています。
タモリ 挾土秀平さん、とか? 一度、左官を呼んで番組で壁塗りをやったんです。そうしたら「こうやっていくと、だんだん分子がそろってくるのがわかりますよね」とまでいうから、いいなあと。
隈 土っていうのは、実は最後に案配をつけて調整できるからとても便利なんです。柱を建てておけば、その隙間の寸法がちょっと違っても、あとでどう動いても、土でなんとかだましだまし調整できるという、よくできた技術なんですよ。
昔は僕も、柱やフレームが建造物を支えていると考えていたんですが、解析をしてみるとその間に「竹小舞」(土壁の下地となる竹組み)や土があって、そういう一見頼りなさそうなものの全体が、実は地震のときにすごく効いている。
タモリ 荷重を支えているという?
隈 はい。土壁というのは、だましだましが得意な日本人らしいすごい技術、蓄積なんですよね。
タモリ そういう柔軟な構造は「半壁構造」ですかね。
隈 そう、まさに、「半壁」、「半」なんです。ヨーロッパみたいに、完全にぎしぎしの箱にするのではなく、力を吸収するちょっとした逃げを作る。タモリさんのおっしゃる「半」は大正解なんです。
タモリ 伊豆の辺りは30年の間に何度も地震がありましたが、力を吸収したのか壁に一つもクラックができていません。
隈 ところでタモリさん、番組では左官にまたスカウトされたんですか?
タモリ いやいや、今回は残念ながらされませんでした(笑)。