『ひとの住処』
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タモリさん、隈研吾の案内で国立競技場を巡る!
[文] 新潮社
全国津々浦々を歩き回っているタモリさん。それなら国立競技場をご案内しましょうと、設計に携わった隈研吾氏が一緒にぐるりと。「地獄組み」というすごい用語まで出てきて、詳しすぎる建築談義にもり上がるのでした。さて、JR千駄ヶ谷駅に集合です!
タモリ どうも、お久しぶりです。
隈 トーク番組でご一緒して以来です。
タモリ 案内だなんて、よくお時間がありましたね。
隈 それはこちらのセリフです(笑)。国立競技場は、私も関わった共同設計の本体工事の区切りがいったん付きまして。すでに公開されていますが、いまはオリンピックに向けて放送中継やセキュリティー関係の設備工事などの真っ最中です。
タモリ それでまだ工事中なんですね。
そういえばこの千駄ヶ谷一帯は明治に入って、徳川のお屋敷だったんですよね(以下、カッコ内は編注 江戸城を追われた徳川宗家が、界隈10万坪ほどの敷地に暮らした)。いまでも確か電柱に「徳川支」とか書いてありますよ。土地としては高台で、いいところですよね。
隈 教えていただくことが多い……タモリさんは建築にもご興味が深いですよね。
タモリ 建築には、ありますね。面白いです。まずデザインに目が行きますかね。
隈 ディテールでご覧になりますよね。ご一緒した際、工事の鉄筋の結束(鉄筋同士の交差部分を結束線で固定すること。名人芸を発揮する職人もいるとか)を褒めていらしたのが印象的でした。僕でさえ考えたこともなかったのに。
東京体育館から大江戸線国立競技場駅へ、外苑橋の脇の階段から降りてオリンピックミュージアム、絵画館前まで、外からぐるりと競技場を一周してみます。
《国立競技場駅の新しくできた出口のそば、外苑橋にて》
隈 ここがいちばん眺めがいいんです。競技場は、周りにとけこませるために高さをとにかく押さえました。ザハ案の75メートルから、観客席をグラウンドに近く設定したり、屋根の構造を薄くしたりし、47・4メートルに。垂直の高い壁にはせず、庇を使って建物を分節し、その下にある木が雨風で傷まないようにしました。「五重塔方式」と内輪で呼んでいまして、法隆寺が世界で一番古い木造建築になれた特別なノウハウです。植物を庇の上一面に置き、緑をこんなに建築に取り入れた競技場はないと思います。
タモリ 一周ぐるりと回れるんですね。
隈 コミュニティにいかに開くかが現在世界の建築界の大きなテーマでして、五輪後は最上階をだれもが入れるようにし、ぐるりと森を見渡せるようにします。
タモリ 庇が長いですね。
隈 そこが見せ所でして、「片持ち梁(一端で他を支える梁)」という、60メートルの梁をリングの構造にしました。鉄骨に混ぜた木が軽いために可能になったんです。使った木の一本一本は10・5センチ角という寸法です。これは日本でいちばん流通しているサイズで、値段も安く庶民的な材料です。日本はもともと細い木を組み合わせて、間伐材を循環させながら木造建築物を作ってきました。無駄に木を切らずにきた結果、国土の約70パーセントが森林として残っているわけです。
タモリ 庇の役割はなんですか。
隈 そこにぶつかった風を流す役割ですね。いちばん上の庇へぶつかって入る風がもっとも強くなりますが、途中にも抜けるので、中にいても風を感じられます。
タモリ 夏にいいですね。
もう30年ぐらい前かな、外苑橋の下、少し先あたりに2軒、ラーメンの屋台があったんです。1軒が「オリンピック」というお店でした。
隈 名前がオリンピックって(笑)。
タモリ これがね、結構うまかったんですよ。ラスタカラーの提灯のせいで裏で何か別のモノを取引しているなんて噂が出て。嘘なんですがね。実際はタクシーの運転手が忙しい時に皿洗いの手伝いをしているような、のどかな店でした。チャーシューが美味しくて、褒めたことがあったなあ。
隈 食べたかったなあ。少し先、ホープ軒っていうラーメン屋は今もありますね。
タモリ ホープ軒、まだありますね。一時期すごく並んでいましたね。
隈 オリンピックがホープ軒に進化したわけではないんですか。
タモリ 別だと思います。
外から歩くと見えませんが、階段の上はどうなっているんですか。
隈 全部デッキになっていて、そのデッキが野球場の方からだと段差なく入れます。競技場は東西で結構な高低差があるんですよ。もともと、外苑橋から仙寿院を経て表参道の方に抜ける、競技場の西側沿いのこの道は、渋谷川の谷でした。
タモリ はい。渋谷川の源は新宿御苑の池ですね。暗渠が多くなっていますが、大まかに、表参道に抜けて渋谷方向へ流れていく。
隈 その谷の傾斜があったので大きな競技場の敷地としては割とやりにくい土地なんですが、その段差を利用できました。渋谷川に沿って寺社が多くあった場所で、鳩森八幡神社は有名ですね。村上春樹も昔この辺でジャズバーを開いていたし。人が集まるのかラーメン屋も(笑)。
タモリ 賑わっているキャットストリートなんて、昔は川だった。渋谷川の先の広尾の辺りもお寺さんが多いですよね。
(競技場の内部が見える箇所を見つけて)あ、ちらっと内部が見えました。ああ、グラウンドはあのレベルですか、だいぶ低いんですね。高低差がよくわかります。
ここは全体を上から見ると、神宮の「森」というひと塊なんでしょうね。
隈 下からライトアップすると、夜景もすてきなんですよ。
《競技場の東側へ》
タモリ こちら側からみると、高さが違うのがまたよくわかりますね。
隈 庇には、全国47都道府県の杉を使っていて、東京から各県庁所在地を向いたときの方向にそれぞれ配置しています。草は26種類、手入れにあまり手間がかからない野のものを混ぜて植えました。
タモリ 植物だけでも相当な量ですね。
隈 こう、ぐるりと回ってみるとわかりますが、敷地は、現在の収容人数が入るぎりぎりの大きさで、こういう競技場としては狭い方です。特に東西方向がぎりぎりですが、東京の真ん中の森によくこれだけの敷地があった、とも言える。
タモリ それにしても、設計をやるって決まってから、時間がなかったでしょう。
隈 はい(笑)。めちゃめちゃ時間がなくて、設計1年、工期3年の4年でできました。その前にごたごたが1年あったので、普通なら合計5年のところを、1年間圧縮したというスケジュールなんです。
タモリ よくできましたね。
隈 でもですね、1964年の原宿駅前のあの丹下健三の代々木競技場は、工期1年半でできたんです。いまでも信じられないスピードです。
タモリ え、そうなんですか。
隈 8時間の3交代制で工事をしたとか。いまは働き方にうるさいですから絶対にできません。
タモリ しかも難工事だったでしょう、ワイヤーで屋根を吊っていくという前代未聞の造りで。あの当時にはコンピューターでの作図とか計算とかもできなかったわけで。
隈 手描きの設計の上に人間の手計算であれだけやったと考えると、構造設計の坪井善勝先生は天才的です。丹下先生と凄まじく衝突したらしいですけど(笑)。