卍どもえ 辻原登著 中央公論新社
[レビュアー] 栩木伸明(アイルランド文学者・早稲田大教授)
スマホが出る一歩前の、ケータイとファクスの時代。バブル景気とサリン事件の記憶がまだ新しかったあの頃。ネイルアートや競馬や海釣りのウンチクが楽しいこの小説には、平成中期の空気が生け捕りにされている。細密に描かれた東京の街角が実在するかどうか、ネットで確認しながら読み進むうちに、虚構と現実がにじみあう世界に迷い込んでしまった。
女性同士の同性愛からはじまるところは、谷崎潤一郎の小説『卍(まんじ)』のもじりである。だが、女性2人に男性をくわえた三つどもえ関係に発展していく『卍』とは異なり、こちらでは女性3人が快楽を求めて突き進む。3人一緒に睦(むつ)み合う盟約を結んだ彼女たちはじつに軽やかに、後腐れのない相互関係を築いていく。
他方、彼女らの夫である2人の男は度しがたい俗物だ。デザインとビジネスの世界で成功した彼らは各々(おのおの)、後腐れだらけの不倫を繰り返す。それを見かねた小説の創造主はしたたかな不倫相手を登場させ、男を罰するサスペンスの仕掛けまで用意する。風俗小説の上に謎解きが重ねられていたのには舌を巻いた。
小説世界は足し算で構築されていく。登場人物たちの履歴や家系が芋づる式に語られると、彼らよりも2代ほど前の、戦中戦後を生きた日本人の姿が見えてくる。本作はアジア史を背景にした群像劇でもあるのだ。
最後の場面で、得体の知れぬ巨大なものが迫ってくる予感が示される。3人組の女性の一人が「急がなきゃ」と叫んだのを合図に、彼女らはいっせいに走り出す。この叫び声は平成の世を貫いて、今、ここにまで届いているように思えたのだけれど、聞き違いだろうか。
危険を避けるために、そして、より望ましい場所へ向かうために、急がなきゃいけないのはわかっている。だがどの方角へ駆け出せばいいのかが決められない。ぼくは手をこまねいたまま、走り去る3人の後ろ姿を見送った。